12:41

不確実性の許容

 「世界は、実は五分前に始まったのだ」

 今、こう言われたら、あなたは信じることができますか。それとも「ありえないことだ」と笑い飛ばしますか。

 これは、十九世紀末から二十世紀にかけて活躍した英国の論理学者で哲学者のバートランド・ラッセルが提唱した有名な「世界五分前仮説」です。哲学における懐疑主義的な思考実験のひとつであるこの仮説は、確実に否定することができないとされています。つまり、「世界は五分前にできたのではなく、ひいては『過去』というものが存在すると論理的に示すこと」は不可能なのです。例えば、五分以上前の記憶があることは、この仮説の反証とはなりません。それは、この世界に生きるすべての人に間違った記憶を植え付けられた状態で、五分前に世界が始まったかもしれないからです。タイムマシンでも発明されない限り、そうでないことを証明する手立てはありません。

 この仮説を読んで、あなたはどう思いましたか。「過去」というよすがを失って、非常に居心地の悪い気分になったのではないでしょうか。それは、「今、生きている」という実存への信頼を支えるのは、過去という概念とその記憶だからです。この意味で過去とは、人間が、今と未来を生きるよすがです。東日本大震災では、津波が、家屋や車などと一緒に、五分前までは確かにそこにあった大切な人々と一緒に過ごしたという生活と実存の記憶を物理的に破壊してしまいました。その映像は世界中を駆け巡り、今日と同じ毎日が永遠に続くと思っていた人々に「未来とは、本来不確かなものである」という事実をつきつけたのです。

 「不確実性(uncertainty)」という言葉は、様々な分野で使われています。例えば、経済学では「確率形成の基礎となるべき状態の特定と分類が不可能な推定」とされます。つまり、不確実性とは、基礎となる状況が一回限りであるなど予測がほとんど不可能な状態を指すのです。これは、前述のラッセルとほぼ同時期に活躍した米国の経済学者フランク・ナイトが唱えた説で、彼は不確実性の例として企業の意思決定を挙げています。企業が直面する不確定状況は、数学的な先験的確率でもなく、経験的な統計的確率でもない、先験的にも統計的にも確率を与えることができない推定であると主張したのです。

 最近の例では、サブプライムローンという過去に経験したことのない領域での損失の拡大が、ナイトのいう不確実性に属すとされています。そして、グリーンスパン元FRB議長が「不確実性、特にナイトの不確実性に直面すると、人間はいかなる時でも、中長期的な資産から安全で流動的なものへのもちかえを図るものだ」と言ったように、人間は不確実性に直面すると、最悪のシナリオを想定して悲観的に行動してしまうのです。これが、大震災後に頻発している「買占め」の原動力です。不確実性が社会や市場の疑心暗鬼を増幅しているのです。

 過去というよすがを社会が見失った今の日本は、不確実性に覆われて「つくるべき明日の姿がどういうものなのか」が見えない状態です。つくるべき明日とは、「希望」の具体的な姿です。地震が起きても起こらなくても、未来が不確実性に満ちたものである限り、人は希望という名の灯がなくては前に進むことができません。
 希望の具体的な姿を描くためにまずすべきことは、私たちが生きる毎日、そして世界とは本来不確かなものであるという事実を、この困難な時代にこそ勇気を持って受け入れることではないでしょうか。これが、不確実性に振り回されずに利用する第一歩となるのです。
(2011/04/10)