13:15

キツネかハリネズミか ― 認識の限界に挑む

 「大海の限りも知らぬ浪の上にあはれはかなく舟のゆく見ゆ」

 室町時代の武将、細川勝元が詠んだ歌です。将軍に次ぐ役職である管領(かんれい)を務めた勝元は、応仁の乱の東軍総大将でしたが、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された寺社群のひとつ、龍安寺(りょうあんじ、京都府)を創建するなど、禅宗に深く帰依したことでも知られています。

 その勝元が眠る龍安寺で最も有名なのが、枯山水の方丈石庭です。1975年、英国のエリザベス女王が日本を公式訪問した際、石庭の見学を希望し絶賛し、海外で大きく報道されたことが世界各地でZEN(禅)ブームに拍車をかけたといわれています。このため、今でも龍安寺には外国から多くの人々が訪れます。

 枯山水とは庭園様式のひとつで、池や遣水などの水を用いず、石や砂などにより山水の風景を表現します。白砂や小石を敷いて水面に見立て、帚目や時には石の表面の紋様で水の流れを表すのです。室町時代の禅宗寺院で多く用いられ、禅問答のように抽象的な表現の庭として発達しました。龍安寺の石庭はその傑作と言われています。

 土塀に囲まれた75坪に、草木を用いず、ただ帚目を付けた白砂と15個の石組のみを置いた龍安寺の石庭。これが一体何を意味するのか。その解釈は諸説あります。最も有名なのが、15個の石組に作庭意図を求める解釈でしょう。一見、無造作に置かれているように見えますが、意図的に、どの角度から見ても石は14個しか見えないという構図にしているというのです。これについては、龍安寺の茶室に水戸光圀が寄進したといわれる「吾唯足知(われただたるをしる)」の蹲(つくばい)があることから、「14個見えることに満足することを知れ」との解釈がよく知られていますが、逆に「14個しか見えないこと」を表しているという解釈もあります。つまり、人間は存在しているもの全てが見えると確信しているが、見えるものの陰には、見えないもの、確かめることができないものが必ずあるのだということ、また、見る場所によって、見ることができない1つの石は変わってしまうという認識の限界を表しているというのです。

 この認識の限界への人間の対応について、面白い研究結果があります。米国の政治学者で心理学者でもあるフィリップ・テトロックが1980年代の終わりから10年以上かけて行ったもので、「キツネとハリネズミの違い」と呼ばれるものです。考えを頻繁にかえるキツネ派と大事なひとつのことに固執するハリネズミ派とに歴史家を分類した英国の政治哲学者アイザック・バーリンの理論に基づいたもので、数百名の経済学、国際関係論、政治学の名だたる専門家たちをキツネ派とハリネズミ派とに分け、かつ、各人に5年先程度の近未来予測をしてもらい、誰の予測が当たったかを調べるというものでした。

 どちらが当たったと思いますか?

 結果は断然、キツネ派の方でした。自分がよく知っているひとつの大事なことを他の分野にも拡大解釈しようとするハリネズミ派よりも、一元化に疑問をもち、多くの分野を学んで視野を広げることに努め、固定化せずに幅を持たせた考え方をするキツネ派の方が、未来を予測する力が勝っていたというのです。

 恐らくハリネズミ派は、石庭の解釈を固定化しそこから抜け出すことはできないのでしょう。彼らは自らの知識によって石庭の見る方向を固定し、14個の石があるひとつの風景を見ることしか永遠に知りえないのです。対してキツネ派は自分の知識を疑い、見る方向を様々に動かすため、結果的に14個の石があるおよそ無限の風景を見る可能性を持っているのです。もしかしたら、14個しかないこと自体を疑って自ら高く跳び、15個全てを見ようとするかもしれません。

 冒頭の歌と同じく、日本は、今、東日本大震災という荒れた大海原に漂う船のようです。危難を回避し、その船を目的地に進めるためには、今までのものの見方を疑うことを知り、大凪に櫂がなければ風を呼ぶくらいの奇想天外な発想ができるキツネ派的資質が求められているのではないでしょうか。
(2011/07/25)

13:10

まじないと鎮魂

 「たち別れ 因幡の山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」
(古今和歌集)


因幡守に任ぜられた在原行平が送別の宴で詠んだ別れの歌です。百人一首にも収められたこの歌に、迷い猫を呼び戻す呪(まじな)いの意味もあるのをご存知でしょうか。この歌を書いた短冊に猫の皿を伏せておくと迷い猫が帰ってくるという呪いは、戦後の東京でも続いていました。子供の夜泣き封じや水難除けなど、和歌を呪歌として使う風習は全国各地にたくさんあります。

猫ではなく、神様や亡くなった人、あるいは行方知れずの人の魂を招き、語らせる方法のひとつに「口寄せ」があります。シャーマン(巫女や祈祷師)が行う代表的な術で、古くは、邪馬台国の女王卑弥呼が神託、即ち神様を「口寄せ」して政治を行いました。

現代日本でも「口寄せ」は行われています。最も有名なのが恐山(青森県)のイタコでしょう。宇曽利湖(うそりこ;アイヌ語でウショリ)の美しい白浜を極楽が浜に、硫黄臭が満ち、噴気や温泉が至る所に湧き出る色のない荒涼とした火山を地獄や三途の川、賽の河原に見立て、極楽と地獄を同時に体験できるというのが、恐山が「畏れる山」たる所以です。この極楽と地獄に集まった亡者の霊魂を、イタコが「口寄せ」で呼び出すのです。県内のイタコが集まる恐山大祭(七月二十~二十四日)と秋詣り(十月上旬)の時期、山は「口寄せ」を願う参詣者であふれます。

さまざまな作法がある「口寄せ」のうち、亡くなった人に語らせる「死口」には「古口(死後百日以降のホトケ)」と「新口(死後百日以前のホトケ)」があります。前者は恐山のイタコを含め多くの地域で見られますが、後者を行う地域は多くありません。そのうちの一つが岩手県宮古市で、葬祭儀礼の一環として初七日の法要時に、家や車を清める「後清(あときよ)め」とそれに続く「ホトケオロシ」、即ち「新口」を行う家があるそうです。「アミダサマ(恐らく阿弥陀如来)」から始まり、亡くなったばかりの新しいホトケと先祖代々の古いホトケを、シャーマンが順々におろして(自らに憑依させて)遺族と対話するのですが、大抵の場合、ホトケたちは感謝の気持ちを語るといいます。病死した場合は看護・介護してくれた人への感謝、海難や災害、事故などで不慮の死を遂げた場合はその時の状況と家族への感謝などです。これに対して、ホトケに対する感謝や謝罪の言葉で応える参加者が多く、時には感極まって泣き出す人もいるそうです。もちろん、新しいホトケが生前に浮気したとか諍いがあったとかで一瞬束髪の事態になるケースもあるようですが、そうした場合には、儀礼後シャーマンが継続して遺族の話し相手になるなど、アフターケアをするそうです。

もちろん、猫や死者の魂を呪いで呼び戻すことができるはずはないと切り捨てることもできるでしょう。しかし、各地に連綿と続くお盆の風習が呪いの一つであることも事実です。卑弥呼の時代から千八百年近く経った科学万能の現代にあってなお、こうした呪いが絶えないのは、科学では本当の意味で人の心を癒すことができないからなのではないでしょうか。実際、「ホトケオロシ」には死の忌み祓いに加えて遺族の心の浄化作用があるという研究結果があります。遺族に対する心のケアの一つとして、死者について語り合うことが有効であることは臨床的に証明されており、精神医療の現場で一般的に使われる手法です。シャーマンが呪術を使って行う死者との直接対話は、同じかそれ以上の効果をもたらすというのです。

東日本大震災の特異性のひとつに、通信インフラの発達により、二万人を超える人々が亡くなり行方不明になっていくさまを、その場にいない人々が目撃してしまったという事実があります。そうした人々の胸には、ただ見ているだけでたくさんの命を救うことができなかったという無念が、古傷のように残っているのではないでしょうか。季節が春から夏にかわっても、この想いが多くの日本人の心の時間の針を三月十一日のままに止めているように思えてなりません。

深い哀しみを前に人は泣くことすらできなくなります。東日本大震災の復興を考えるとき、遺された私たちの心を癒すためにこそ、まずは哀惜と愛執を自覚し涙と共に分かち合う場、即ち死者と生者の鎮魂の場をもつことが必要なのではないでしょうか。その際、不思議な呪いの力を信じ続けてきた日本人のメンタリティに配慮することを忘れてはならないのです。
(2011/07/10)