「同じ字を雨(あめ)雨(さめ)雨(だれ)と雨(ぐれ)るなり」
梅雨に春雨、五月雨、青葉時雨と、日本では四季折々に多彩な雨が降ります。季節問わず訪れる白雨をよける人々の姿もまた多彩。「にわか雨おもひおもひに化けて行き」。風呂敷や筵、破れ傘で人ならぬ姿に化けて家路を急ぐ人あり、或いはどこかで「雨やどりちょっちょっと出ては濡れてみる」けれど、しかたねえ、駆けて帰るかと覚悟を決めて「ふところでふんどししめる雨やどり」もあり。しばらく無理とあきらめて「雨宿りきせるを出して叱られる」人、飲み屋か蕎麦屋で「雨やどりお前の方にいくらある」と相談を始める人などなど。でも結局は「本降りになって出て行く雨やどり」となってしまうのかもしれません。
江戸の川柳にもたくさん登場する雨やどりは、私たちが最も日常的に行っている避難行動の一つです。避難とは、読んで字のごとく「難を避けること」で、人はもとより全ての動物が、毎日何らかの避難行動をしています。一日の中で最も無防備となる睡眠時に夜露や悪漢から身を守るため家を建てるのも、衣服を身にまとい冷えなどから体を守るのも避難行動の一つですが、こうした平常時の避難行動は、それぞれの地域の文化として生活に根付いており、人は避難と意識せずに行います。避難という言葉を意識して使うのは、台風や噴火、地震、津波などの自然災害、火事やガス事故、戦争など緊急事態が発生した時です。
これらの緊急事態が発生した際には、行政機関が緊急度に応じて地域住民に公式の避難指示をするのが世界の常識です。日本で大規模な自然災害が発生した際には、災害対策基本法に基づき市町村長判断のもと、避難勧告や避難指示が出されます。3月11日の大津波で町長を亡くした岩手県の大槌町のように市町村長が指示できない場合には、都道府県知事が代行します。原子力災害の場合は法律が異なり、原子力災害対策特別措置法が適用されますが、避難勧告及び指示の判断をするのは同じく市町村長です。
こうした法律などに基づく「公式の避難」に対して、公式の避難区域外の住民が自発的に行う避難行動を、海外では「陰の避難(shadow evacuation)」と呼びます。米国スリーマイル原発の事故時にその影響の大きさが確認され、海外では一定の研究がなされました。しかし日本では、阪神・淡路大震災の時「疎開」という形でその発生が確認されたにも関わらず、体系的な研究はなされてきませんでした。
東日本大震災の際も「陰の避難」は起こっています。地震発生直後から多くの人々が主に西へ逃げたのです。福島原発一号機の水素爆発が報道された3月12日早朝以降、その流れは加速度的に進行し、西への人の移動は春休みにかけて大きく膨らみました。移動の波は企業にも広がり、大阪と東京の宿泊料金の逆転現象を引き起こしました。
このような「陰の避難」の影響は、海外の原子力災害対応において重要なファクターとして認識されています。例えば、フランスのある避難時間評価(Evacuation Time Estimation)に関するレポートでは、緊急時対応計画で想定した区域外で発生しうる避難を「自発的避難」と「陰の避難」の2つに分けて評価しています。前者は、避難勧告がないにも関わらず避難勧告対象地区の周辺住民が自主判断で行う避難で、福島原発の事故に例えると30キロ圏内に市の一部が入る福島県いわき市の住民が避難するイメージです。後者は、緊急時の応急対策として行われる防護対策が全く実施されない区域において、原発から物理的に離れようとして取られる避難行動で、例えば東京都や神奈川県の人々が避難するのがこれにあたります。
雨と違って放射線は目に見えず音もしないため、本降りになっても濡れたかどうかすらわかりません。加えて福島原発の事故では、国民に本降り(=メルトダウン)が伝えられるまで2カ月もかかり、本降りの影響がどこまで広がるのか未だにわかりません。お上を信用できない以上、濡れたかどうか自己判断し、それぞれの方法で難を避けるのは人として当然の防御です。しかし、皆がてんで勝手に「陰の避難」を続ければ、コミュニティは崩れ、経済活動が不安定になる危険性があるのも事実です。無用な混乱を防ぐため、また、現実的な地域防災計画を作るためにも「陰の避難」に関する体系的な研究を始めることが望まれます。
(2011/06/25)