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答えのない質問

「答えはない。答えは存在したことがない。答えはこれからも存在しない。それが答えなのだ。」

 米国の著述家ガートルード・スタインの言葉です。彼女とその兄弟達は、現代芸術のコレクターとして大変有名です。最近もサンフランシスコ近代美術館で大規模なスタイン・コレクション展がありました。評価も理解もされていなかったマティスやピカソなどの若い芸術家たちに、スタイン家が経済的・精神的援助を行ったことから、二十世紀初頭のパリのアヴァンギャルド(前衛芸術)が始まったといわれます。ガートルードは特に、ピカソのキュビズムに共鳴し、自身の文学に取り入れました。

迷彩柄は、キュビズムの画法を
ヒントに生まれたとされる
 様々な角度から見た物の形を一つの画面に収めるというキュビズムの手法は、一つの視点に基づいて描くルネサンス以来の一点透視図法を否定するものでした。複数次元の視点を一つの平面に収めるというキュビズムが何を意味するのか、当時も百年後の今も、理解することは大変に難しいことのようですが、もしかしたら米国の前衛作曲家チャールズ・アイブズの作品群が手助けになるかもしれません。

 アイブズは、今でこそ現代音楽のパイオニアとして広く知られていますが、生前、その作品が演奏されることはほとんどありませんでした。スタインと同じ年に生まれた彼が作る難解で不協和音ばかりの曲は、ピカソのキュビズム同様、当時は理解されなかったのです。

 難解で好みの分かれるアイブズの作品のうち、「答えのない質問(The Unanswered Question)」は比較的聞きやすい方だといわれ、カラヤンやバーンスタインも指揮しています。弦の緩やかなハーモニーが醸し出す世界に、唐突に交錯するトランペット、そしてフルートなどの木管楽器が奏でる不協和音。まるで、永遠に交わることのないたくさんの平行線といった雰囲気の曲です。そう、複数の次元の異なるハーモニー(調和)をスコア(譜面)という一つの平面に収めたという意味で、曲の作り方がキュビズムと全く同じなのです。

 一方でこの曲は、現代社会の姿をも彷彿とさせます。弦のハーモニーはある一つのレジーム(体制)、例えばプロテスタンティズムに基づく資本主義を表します。トランペットや木管楽器もそれぞれ異なるレジームの比喩です。例えば、イスラム法に基づくイスラム経済、欧州連合の通貨経済統合に中国共産主義経済など。それぞれに美しいと信じられているハーモニーで構成されるレジームが、複数平行して存在し、自分たちにしかわからない音で、相手には答えられない質問を繰り返しているのです。

 10年前の9月11日に起こった忌まわしい出来事も、同じように、異なる次元から非情で暴力的な方法で投げつけられた、答えられない質問だったのではないでしょうか。だからこそ、十年経っても正しい答えがみつからないのではないでしょうか。

 軍隊の「前衛部隊」が語源のアヴァンギャルドという言葉には、芸術のみならず保守的な権威や体制など様々な「何か」への攻撃の先鋒に立つというような政治的なニュアンスがあります。同時多発テロもテロリズムのアヴァンギャルドでした。あくまで政治的要求を通す手段としてテロを使う、同時多発テロ以前のモダン・テロに対して、ポストモダン・テロと呼ばれる同時多発テロは、現代社会の秩序の破壊そのものを目的としています。答えられない質問とは、即ち、冷戦以降の世界を秩序立てているレジームを壊すことの意義の是非なのです。この質問に、答えを出せる人は世界中探してもいないでしょう。

 アヴァンギャルドは、時代の常識からかけ離れているが故に理解されません。ずっと後になってからその意味が少しずつ理解されるようになるのです。スタイン・コレクションの担い手だった長兄レオはキュビズムを否定しました。しかし、ガートルードは理解し、ヘミングウェイに言いました。

「あなたたちは失われた世代なのよ。」

 冷戦後、米国を頂点にアンバランスに発達した資本主義経済というレジームが、同時多発テロによってアンシャン・レジーム(旧体制)になったのであれば、慣れ親しんだ美しいハーモニーだからと言って、アンシャン・レジームだけを唯一解と思いこみ続けることこそが、世界を更なる危うさに陥れるのではないでしょうか。
 (2011/09/10)