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江戸の三貨制度

 「風流の三箱は隅田の雪月花」

 2012年1月23日、都心では6年ぶりの積雪でしたが、江戸の昔、隅田川に降る雪は水面に映る月や桜花と並んで千両に匹敵する絶景でした。とは言っても「千両の重み家内が持ってみる」なんて経験ができるのはほんの一握り。「千両の箱は外から見たばかり」と庶民が拝めるのは外箱ばかりで、それも「哀れさは千両箱に鰹ぶし」というような末路にお目見えする程度でした。江戸時代、庶民が日常的に使ったのは「両」で数える小判ではなく、銀や銭だったからです。

 江戸でのお金の使われ方は、現代からみるとかなり複雑です。幕府という一つの行政機関の下で、一枚の額面が決まっている計数貨幣である「金」と「銭」、取引の都度重さを量って価値を決める秤量貨幣「銀」の三つの貨幣が同時に流通していたからです。現代の感覚からすれば金・銀・銭の順で価値が高いと考えがちですが、そうではなく、それぞれ別々の経済価値を表していました。日本国内に、円とドルとユーロが同時に流通しているイメージです。このように、三つの貨幣それぞれが対等な本位貨幣として流通する仕組みを三貨制度といい、世界でも珍しい制度でした。

 「東の金遣い、西の銀遣い」といわれるように、三貨の主な流通地域は異なりました。銭は全国的に使われましたが、江戸など東国では金、大阪など上方では銀が主に使われたのです。また、商取引に必要な貨幣は取引量や品物の種類によっても変わりました。金極(きんぎめ)、銀極(ぎんぎめ)、銭極(ぜにぎめ)といい、商慣習の一種です。「極(きめ)」とは今も使う「月極」と同じで、例えば「銀極」なら銀で決済することです。材木、呉服、薬種など上方商人が取り扱うことが多い商品は、金遣いのはずの江戸でも銀極で取引されました。面白いのは職人の手間賃で、東西を行き来するためか銀極銭勘定(支払)です。一方、日雇の手間賃は、野菜や魚などの日用品や店賃などと同じく銭極でした。

 複数通貨の流通は、商売や旅行には両替が必須であることを意味します。実際、江戸の両替商は莫大な利益を得たとされ、両替コストが経済効率を圧迫している面もあったようです。しかしそうした面よりも、取引当時者間の合意のみで使用通貨を選択する自由度があることの方が、商人たちにとっては有益だったという説があります。銀の輸出と金の輸入との不均衡による金の暴落や、幕府の改鋳による貨幣価値そのものの変動など相場を考慮しながら、時宜に応じて最も有利な通貨を使い分けることができたからです。庶民にとっても、高額取引に使われる通貨と日常遣いの通貨の相場が分かれていることはメリットでした。金銀相場が乱高下しても、日常使うのは銭ですから生活への影響を免れる面も多かったというわけです。経済の内容や規模が異なる市場間を移動し、相対的に変化するモノやサービスの価値を、一つの通貨価値に固定せずに三つの側面から評価することによってうまく循環させるシステムだったというのです。

 今、ユーロが揺れています。様々な要因がありますが、経済の内容や規模が異なる国々の通貨を統合するという実験が失敗に終わるのではないかという考え方が、市場で力を持ち始めていることが根本にあるようです。欧州連合(EU)にとって、域内経済の不均衡は発足当初からの重要な政策課題ですが、様々な取り組みにも関わらず余り解消されていないというのがその理由の一つのようです。一人当たりGDPの順位(IMF; 2010年)でみても、178ヶ国中1位のルクセンブルグから73位のブルガリアまで大きな差があり、多様な経済活動がEU内に同居していると言えるでしょう。もしかしたら、こうした様々な活動を一元的な経済価値で示すこと自体に無理があるのかもしれません。「欧州統合は戦争か平和かの問題であり、ユーロが平和を保証している」(コール独元首相)という言葉が象徴するように、通貨統合を安全保障上の政治的意思と捉えるのであればなおさら、人々の活動や経済の多様性を容認する新たな考え方が必要とされているように感じます。

 「交換手段はもともと法律や社会的契約によって成立したのではなく、慣習によって成立したのである」と言ったのは、近代経済学の祖カール・メンガーです。今年でようやく流通十年を迎えるユーロのこれからを考える際、慣習をうまく使った江戸の三貨制度のアイディアが一つのヒントになるのかもしれません。
(2012/01/25)