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不確かさの地図を描く -シナリオ・プランニング-

「大抵の場合、人は好んで己が欲するものを信じる」

 ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」に登場する言葉です。

 カエサルの副将ティトリウス・サビーヌスは、ガリア北部(現在の仏ノルマンディー地方)の戦闘で、補給線を襲うウネッリ族の大軍からカエサルの後背を守る別働隊を指揮していましたが、好機に恵まれず、長期戦を余儀なくされていました。有利な地形に陣を敷いてはいるもののそこから動かず、敵が仕掛けて来るのを慎重に待つサビーヌスを、敵はもちろん味方も腰抜け扱いしますが、それこそが彼の作戦でした。サビーヌスは、頃合を見計らって、ローマ軍の逃亡兵のふりをさせた配下のガリア人を敵陣に送り込みます。「ウェネティ族に苦戦しているカエサル支援のため、明晩には退却するだろう」というデマを流すために。予想外の長期戦に苛立っていたウネッリ族はこの情報に飛びつき、今がチャンスとばかりに準備も十分にせずにローマ軍に急襲を仕掛けるのですが、有利な地形で待ち構えていたサビーヌスとの戦闘は当然不利で、大敗を喫するのです。

 カエサルは、サビーヌスの躊躇、ウネッリ族に補給路を断たれたことによる食糧不足、ウェネティ族に対して好戦的、そして脱走兵の証言というローマ軍に関する四つの独立事象がローマへの急襲というウネッリ族の行動を引き起こしたと分析しています。なぜなら大抵の場合、人は好んで己が欲するもの(情報)を信じるからです。

 カエサルの時代から二千年以上経った現代でも、この言葉は通用するようです。わが国に導入された事業継続マネジメント(BCM)が、欧米のBCMと異なり、大規模地震や新型インフルエンザ等の特定災害におけるひとつのシナリオに基づく対策のマニュアル化をその中心としてしまったのもその一例でしょう。大規模地震を最大の脅威とみなすわが国固有の事情もあり、防災に代表される原因を管理(抑制)する原因管理の思想の下、「原因=特定災害を想定すれば、災害シナリオも想定できる」という、多くの人が信じたい思想を信じてしまったのです。

 しかし実際には、ロジックとしてどんなに精緻な災害シナリオを描いても、そのシナリオが既知の変数(過去)のみに基づくものである限り、未来に起きる災害がシナリオ通りに起きる保証はどこにもないのです。既知、即ち過去の知見には、実際に起こったことの全てが含まれているわけではなく、未知、或いは不確かさが含まれているのですから。東日本大震災は、災害とはもともと不確かなものだという事実を私たちに改めて突き付けたように思います。現実の災害は、人間が勝手に作ったシナリオ通りには進みません。マニュアル化はある程度のところまでしかできず、結局は状況に応じた臨機応変な対応をするしかないのです。

 一方で、事態の進展に応じて不確かさ=リスクを正しく認識し、対処するのは大変難しいのも事実です。一般に人間は、リスクの評価については近視眼的になり、不確かな選択肢からの選択に際しては臆病になる傾向があります。東日本大震災でも「原発事故でSPEEDIの結果を不確かだといって無視した」、「100mSv以下の放射線量に安全・危険の区分をつけたがる」といった不確かさへの反発や無視が見られました。

 では、どうすればよいのでしょうか。まずは、どれだけ科学技術が進歩し、文明が高度化しようとも、世の中には人智では計り知れない不確かなことがあるという事実を、勇気を持って受け入れる度量を持つことが大切でしょう。これは、リスクを真に理解することと同義であり、不確かさに振り回されずに「利用」する第一歩です。

 また、不確かさに対応するための心の準備も大切です。このために有効とされているのが、欧米企業で事業戦略の立案や危機管理等に活用されている「シナリオ・プランニング」です。起こり得る未来を、誰もが理解しやすい複数の物語(シナリオ)という形で仮想的に経験することで心の準備をし、変化の予兆を見逃さず、不確かさに対応できるような事前策を練る手法ですが、「複数の未来」の実現可能性の確率は求めません。眼前にある状況がこれからどう進展していくのかなどの不確かな点も含めて大まかな未来の地図を描き、組織を構成する人々がそれを等しく経験し共有しておくことに意義があるからです。前述のサビーヌスとウネッリ族との戦いに例えれば、ローマ軍に関する四つの独立事象を扱うとき、ウネッリ族が採用した己に有利なシナリオだけではなく、敵方に有利なシナリオも考えて皆で共有し、策を講じるということです。

 不確かさに対応するときに大切なのは、間違った方向に行くことを避け、大まかな正解にたどりつくことです。冒頭のカエサルの言葉を忘れず、ぼんやりとしたものでもよいから不確かさの地図を描いてみることから始めてみませんか。
(2012/03/10)