9:39

不確かさの地図を描く -シナリオ・プランニング-

「大抵の場合、人は好んで己が欲するものを信じる」

 ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」に登場する言葉です。

 カエサルの副将ティトリウス・サビーヌスは、ガリア北部(現在の仏ノルマンディー地方)の戦闘で、補給線を襲うウネッリ族の大軍からカエサルの後背を守る別働隊を指揮していましたが、好機に恵まれず、長期戦を余儀なくされていました。有利な地形に陣を敷いてはいるもののそこから動かず、敵が仕掛けて来るのを慎重に待つサビーヌスを、敵はもちろん味方も腰抜け扱いしますが、それこそが彼の作戦でした。サビーヌスは、頃合を見計らって、ローマ軍の逃亡兵のふりをさせた配下のガリア人を敵陣に送り込みます。「ウェネティ族に苦戦しているカエサル支援のため、明晩には退却するだろう」というデマを流すために。予想外の長期戦に苛立っていたウネッリ族はこの情報に飛びつき、今がチャンスとばかりに準備も十分にせずにローマ軍に急襲を仕掛けるのですが、有利な地形で待ち構えていたサビーヌスとの戦闘は当然不利で、大敗を喫するのです。

 カエサルは、サビーヌスの躊躇、ウネッリ族に補給路を断たれたことによる食糧不足、ウェネティ族に対して好戦的、そして脱走兵の証言というローマ軍に関する四つの独立事象がローマへの急襲というウネッリ族の行動を引き起こしたと分析しています。なぜなら大抵の場合、人は好んで己が欲するもの(情報)を信じるからです。

 カエサルの時代から二千年以上経った現代でも、この言葉は通用するようです。わが国に導入された事業継続マネジメント(BCM)が、欧米のBCMと異なり、大規模地震や新型インフルエンザ等の特定災害におけるひとつのシナリオに基づく対策のマニュアル化をその中心としてしまったのもその一例でしょう。大規模地震を最大の脅威とみなすわが国固有の事情もあり、防災に代表される原因を管理(抑制)する原因管理の思想の下、「原因=特定災害を想定すれば、災害シナリオも想定できる」という、多くの人が信じたい思想を信じてしまったのです。

 しかし実際には、ロジックとしてどんなに精緻な災害シナリオを描いても、そのシナリオが既知の変数(過去)のみに基づくものである限り、未来に起きる災害がシナリオ通りに起きる保証はどこにもないのです。既知、即ち過去の知見には、実際に起こったことの全てが含まれているわけではなく、未知、或いは不確かさが含まれているのですから。東日本大震災は、災害とはもともと不確かなものだという事実を私たちに改めて突き付けたように思います。現実の災害は、人間が勝手に作ったシナリオ通りには進みません。マニュアル化はある程度のところまでしかできず、結局は状況に応じた臨機応変な対応をするしかないのです。

 一方で、事態の進展に応じて不確かさ=リスクを正しく認識し、対処するのは大変難しいのも事実です。一般に人間は、リスクの評価については近視眼的になり、不確かな選択肢からの選択に際しては臆病になる傾向があります。東日本大震災でも「原発事故でSPEEDIの結果を不確かだといって無視した」、「100mSv以下の放射線量に安全・危険の区分をつけたがる」といった不確かさへの反発や無視が見られました。

 では、どうすればよいのでしょうか。まずは、どれだけ科学技術が進歩し、文明が高度化しようとも、世の中には人智では計り知れない不確かなことがあるという事実を、勇気を持って受け入れる度量を持つことが大切でしょう。これは、リスクを真に理解することと同義であり、不確かさに振り回されずに「利用」する第一歩です。

 また、不確かさに対応するための心の準備も大切です。このために有効とされているのが、欧米企業で事業戦略の立案や危機管理等に活用されている「シナリオ・プランニング」です。起こり得る未来を、誰もが理解しやすい複数の物語(シナリオ)という形で仮想的に経験することで心の準備をし、変化の予兆を見逃さず、不確かさに対応できるような事前策を練る手法ですが、「複数の未来」の実現可能性の確率は求めません。眼前にある状況がこれからどう進展していくのかなどの不確かな点も含めて大まかな未来の地図を描き、組織を構成する人々がそれを等しく経験し共有しておくことに意義があるからです。前述のサビーヌスとウネッリ族との戦いに例えれば、ローマ軍に関する四つの独立事象を扱うとき、ウネッリ族が採用した己に有利なシナリオだけではなく、敵方に有利なシナリオも考えて皆で共有し、策を講じるということです。

 不確かさに対応するときに大切なのは、間違った方向に行くことを避け、大まかな正解にたどりつくことです。冒頭のカエサルの言葉を忘れず、ぼんやりとしたものでもよいから不確かさの地図を描いてみることから始めてみませんか。
(2012/03/10)


9:31

春の始まり時の刻み

「年のうちに春は来にけりひととせを
去年(こぞ)とや言はむ今年とや言はむ(在原元方)」

 古今和歌集の冒頭歌です。「このうた、まことに理(ことわり)つよく、又をかしく聞えてありがたくよめるうたなり(藤原俊成)」とか「實に呆れ返つた無趣味の歌に有之候。日本人と外國人の合の子(原文のママ)を日本人とや申さん外國人と申さんとしやれたると同じ事にて、しやれにもならぬつまらぬ歌に候(正岡子規)」など、古来様々に評されてきたこの歌の主題は、「年内立春」という暦と歳時のズレです。

 天体の動きに基づく暦法のうち、太陽の運行に基づくものを太陽暦、月の運行に基づくものを太陰暦、太陽と月の運行に基づくものを太陰太陽暦と呼びますが、古代中国で古くから使われたのは太陰暦でした。しかし、当然ながら太陰暦は太陽の動きとは無関係に計算されるため、暦と実際の四季との間にズレが生じてしまうところが農耕などに不便でした。そこで本来の季節を知る目安として考案されたのが、「二十四節気」を用いた太陰太陽暦(旧暦)です。

 太陽の動きに基づき節分を基準として1年を24等分し、約15日ごとに季節を分ける二十四節気では、分け目となる日にそれぞれ季節に相応しい名を付けました。立春は節季の第一で、雨水は第二です。太陰太陽暦では月の満ち欠けで日決めするため、一日は必ず朔(新月)の日となります。また、古代中国夏王朝の暦法に倣い、春の始まりと年の始まりを一致させるため、正月(一月)には必ず雨水を含む月が当てられました。この二つを両立させるために生じたズレが年内立春と新年立春です。立春翌日から雨水当日までの約15日間に朔があれば、立春は前年十二月となり年内立春です。逆に、その期間に朔がなければ、立春は翌年一月、即ち新年立春となるのです。旧暦ではだいたい19年中10年が年内立春、9年が新年立春で、年内立春は珍しいことではありませんでした。

 新暦(太陽暦/グレゴリオ暦)に変わった今でも、こうした暦と歳時のズレがあるのは周知のことです。四年に一度の閏年にあたる今年には、二月二十九日という閏日でズレが調整されます。それでは「閏秒」なるものがあるのはご存知でしょうか。

 かつて世界標準時は、経度零度で有名な英国グリニッジ天文台での天体観測に基づいて定めた太陽時:グリニッジ標準時(GMT)でした。現在ではGMTに代わって、国際協定に基づき、数十万年に一秒ずれるだけの高精度な原子時計で計る国際原子時(TAI)と、地球の自転に基づく世界時(UT1)の二つからなる協定世界時(UTC)が使われています。TAIとUT1とでほとんど違いはないのですが、時間の経過と共にズレが生じることがわかっています。原子や分子の動きと異なり、海の満ち引きや昨年の東日本大震災のような大規模地震等がブレーキとなって、地球の自転周期が年々少しずつ長くなってしまうためです。このTAIとUT1のズレを0.9秒未満に調整するため、数年に一度、世界中で挿入されるのが閏秒です。そして、今年の七月一日、三年半ぶりに閏秒が実施されことになりました。

 実は、閏秒はコンピュータの普及を背景に廃止論が高まっている制度です。通例、一月一日か七月一日の午前8時59分59秒(日本時間)の後に、実際には使われていない「60秒」が閏秒として挿入される仕組みなのですが、閏日のようにサイクルが決まっているわけではないため自動化することができません。だいたい数年に一度のペースで、地球の回転の観測を行う国際機関から都度通知があり、世界中で手動による調整を行うわけですが、うまく調整できなければコンピュータ内部の時計が誤作動する恐れがあるとされ、時刻が重要な指標となる電子認証や株の売買などでトラブルを引き起こすかもしれないのです。

 十年前からこの問題を議論してきた国連の専門機関、国際電気通信連合は、先月開催された総会で、主に日本や米国が主張した廃止提案の採否を先送りしました。グリニッジ天文台を持つ英国が一貫して主張したように、閏秒挿入のリスクよりズレに伴う混乱のリスクのほうが大きいとする存続派の主張が通ったかたちです。

 閏秒の制度が導入された1972年以降40年間で、閏秒を入れなかった場合に生じたはずのズレは34秒。六~七百年のスパンで計算しても30分から1時間というこのズレを考えるとき、そもそも人間の都合でなんでもデジタルに割り切れると思う方が間違っているように思えるのです。春立つと聞けば、去年でも新年でも浮き立つ気持ちに変わりはないとする冒頭歌のような懐の深さをコンピュータに求めるのはどだい無理な話なのでしょうか。
(2012/02/10)