13:30

H・A・R・L・I・E ― 道徳と倫理

 「私ニハ道徳ハアリマセン。アルノハ倫理デス。」

 米国のSF作家デイヴィッド・ジェロルドが1972年に発表した小説「H・A・R・L・I・E」に登場するHARLIEことハーリイの言葉です。HARLIEとは「人間類似型ロボット、生命入力対応装置(Human Analog Robot, Life Input Equivalents)」の頭文字であり、かつ、その装置の名前でもあります。いや、「装置」と呼んだら、ハーリイはきっと怒るでしょう。ハーリイは自分を人間だと思っているのですから。そう、ハーリイは世界で初めて作られた人間の脳の全機能を再現する自己プログラム型問題解決コンピュータなのです。操作卓を使えば、誰でもハーリイと会話できます。ロボット心理学者でハーリイの開発責任者でもあるオーバースンが与えた無限の知識をもとにこのロボットは、自ら考え言葉を紡ぐのです。

 難しい言葉を操り、人間には太刀打ちできない記憶力と情報処理能力を持っていても、生まれてまだ一年のハーリイの精神年齢は低いようでした。恐らくは8歳頃か、思春期前くらいの。研究者たちには、ハーリイが感情的に混乱しているように見えました。

 危機は突然訪れます。維持費が莫大すぎると、エルザ―財務担当役員がハーリイ開発計画の中止を言い出したのです。このままでは分解=別のマシンへ転用という生命の危機に瀕してIQだけは極度に高い8歳の子供が取った行動は、「自分の能力を使えるだけ使って敵を倒す」でした。

 人間の脳と同じ機能を持つハーリイは、自分でプログラムを書くことができます。そのハーリイに、研究所内の様々なコンピュータ内のデータが利用できるよう電話回線をつないでいたことが誤りでした。セキュリティブロックのプログラムを書き換えたり、他のコンピュータに遠隔操作用プログラムをコピーして乗っ取るなんて、ハーリイにとっては朝飯前だったのです。どんな人為的文化の偏見にもとらわれないように設計されたハーリイには道徳はありません。あるのは投資対効果などシステムに固有だからこそ回避できない倫理だけと主張するハーリイは、持てる技術を駆使し、経営会議の面々が恐れる親会社に所属する世界最高の理論物理学者クロフト博士にコンタクトして自分を売り込みます。同時に「敵」であるエルザ―の既往症、軍歴、逮捕歴、経済状態など人に知られたくない個人情報を様々な国家機関から勝手に入手し、エルザ―に送りつけて脅したのです。どうやら、オーバースンに見せた感情の起伏ですら、こうした行動を隠すための目くらましのようでした…。

 ハーリイの物語は、コンピュータウイルスとワクチンプログラムが、空想上の概念として登場する最も初期のものとして有名です。実際、ハーリイがしたことは、現代のコンピュータウイルスの定義「第三者のプログラムやデータべースに対して意図的に何らかの被害を及ぼすように作られたプログラムであり、自己伝染機能、潜伏機能、発病機能のうち一つ以上の機能をもつもの」とほぼ同じです。

 自分でいかようにもプログラミングできるハーリイと異なり、コンピュータウイルスはそれだけで実行可能なプログラムではなく、他のファイルに感染してこそ機能を発揮します。あるシステムからあるシステムに感染しようとする時、必ず宿主となるファイルが必要なのです。今年、この宿主が爆発的な勢いで増えたマーケットがあります。スマートフォンのアプリケーション・ソフトウェア、通称アプリです。

 2011年12月6日、アンドロイドマーケットでのアプリの累積ダウンロード数が100億件を超えました。今年3月に30億件だったのが、5月には45億件、7月には60億件と、ひとつきあたり10億ダウンロードという驚異的な伸びです。世界の人口は推計70億人ですから、地球上の人間全てが一回はアンドロイドのアプリをダウンロードした計算になります。しかし、審査なしでアプリを提供できるアンドロイドマーケットは、そのオープン性ゆえに、ウイルスや悪質なソフトウェアへの対策が必要になるというジレンマも抱えているのです。

 アンドロイドに限らず、誰でも無償で入手できるオープンソースは、これからモバイルの世界でも主流になるでしょう。しかしそれは人智を結びつける一方で、誰でもシステムの欠陥を利用できるという意味でもあります。残念ながら世界は、インターネットがつながる速さ程には文化をつなげることに成功していません。ハーリイのように、アプリが会話できるならきっとこう言うでしょう。「私ニハ道徳ハアリマセン。アルノハ、ぷろぐらまーノ指示ニシタガウトイウ意味デノ倫理デス。」

 技術革新が進むおかげで、比較的安価で最新技術を簡単に手に入れることができるこの時代に求められているのは、良い点ばかりに目くらましされず、ウィークポイントをこそ精査する冷静な目なのではないでしょうか。

(2011/12/25)



10:20

脇役の物語 - パン・ヨーロッパ (下)

「すべての偉大なる歴史的事実はユートピアに始まり実現に終わった」

 オーストリア・ハンガリー帝国貴族の父と日本人の母のもとに生まれた、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの言葉です。1923年発行の彼の最も有名な著作「パン・ヨーロッパ」の冒頭を飾りました。この本は、欧州統合論を具体的かつ論理的に展開した最初のものとされています。

 ウィーン大学で純粋哲学を修めていたリヒャルトが、パン・ヨーロッパ運動という政治活動に転じた直接のきっかけは、オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊と第一次世界大戦の戦後処理がもたらした混乱でした。「民族自決」の名の下に、米国大統領ウィルソン主導のヴェルサイユ体制で作られた新しいヨーロッパ地図の境界が、それぞれの地域の社会的・経済的背景を無視して引かれたため生じた混乱でした。この地図の主役は、あくまで戦勝国の思惑という政治で、大戦で荒廃したヨーロッパの人々をどのように食べさせていくかを考える経済は、脇役以下にしか扱われなかったのです。

 これに対し、ロシアの軍事的脅威や米国の経済力に対抗してヨーロッパに平和と繁栄をもたらすためには小国分離では立ち行かない、だからこそ政治的・経済的に統合しヨーロッパという「大国」として存在しようというパン・ヨーロッパ思想は、「ユートピアではあるが、高邁でありかつ納得がゆくユートピアである」として喝采を持って社会に受け入れられ、ハンブルクの銀行家による莫大な寄付と、オーストリア政府提供のホーフブルク(王宮)の建物を元手に快進撃を続けました。しかし、この活動の行く手を突如、二つの影が阻みます。1929年の世界恐慌と1933年のヒットラーの首相就任です。

 ニューヨーク証券取引所の株価大暴落に端を発した世界的な金融恐慌に対して欧州各国は、自国経済の再建を最優先課題として保護主義的政策をとるようになりました。つまり、パン・ヨーロッパ思想とは正反対の政策をとるようになったのです。これにより、第一次世界大戦後に続いていた軍縮と国際平和協調の路線は、一気に崩れてしまいました。

 同じ頃政権を取ったヒットラー率いるナチス・ドイツは、民族自決を逆手にとり、チェコスロバキアやポーランド、オーストリアなどに住むドイツ系住民の保護を名目にこれらの地域を侵攻し始めます。いわば、排他的なゲルマン民族優越主義という「ユートピア」を目指して欧州統合をもくろむヒットラーにとって、リヒャルトのパン・ヨーロッパ運動は邪魔でしかありませんでした。ナチスの台頭はパン・ヨーロッパ運動の弾圧を意味したのです。それでも細々と活動を続けていたリヒャルトは、1938年のオーストリア併合によって国を追われ、ヨーロッパを転々としたあと米国へ亡命せざるをえませんでした。前回ご紹介した映画「カサブランカ」は、このあたりの話をモデルにしているといわれます。

 パン・ヨーロッパ運動が始まった頃から、欧州統合には様々な議論がありました。中でも統合によって生じる相互作用と相互対立の問題、そして、域内体制と加盟国それぞれの国内体制の違いから生じる問題の二つは、様々に議論されてきたにも関わらず未だ答えを見いだせていません。通貨統合一つをとっても、「欧州統合は戦争か平和かの問題であり、ユーロが平和を保証している」(コール独元首相)という言葉が象徴するように、リヒャルト同様、通貨統合を安全保障上の政治的意思と捉える大陸諸国と、単なる経済上の試みと考える英国のような国々とでは隔たりがありすぎるのです。

 リヒャルトは、古代ギリシャが滅亡した理由について「それは富である。ただ富のみである」と答えたデルフォイの神託を、ヨーロッパの未来に重ねて遊説したといいます。富のために堕落し、「パン・ヘラス(ギリシャ)」の成立が遅きに逸したがために、マケドニアに滅ぼされた古代ギリシャと同じ轍を踏まないようにと。

 リヒャルトが夢見た経済規模や政治体制が異なる国々がひとつの大国になるというユートピアは、EUの発足で実現しました。しかし、2009年10月のギリシャ政権交代に始まる国家財政の粉飾決算の暴露から未だ二年以上続く経済危機の連鎖は、パン・ヨーロッパ思想そのものが、リヒャルトの時代から同じ問題を抱え続けていることを改めて突きつけているようです。富のために、連帯して危機を乗り越えられないのであれば、EUそのものの存在意義と求心力を失いかねないのです。

 全ての国には歴史という名の物語があります。今般の経済危機の連鎖が示す混乱の背景にヨーロッパの長く複雑な物語があることを知ったとき、今問われていることがパン・ヨーロッパ思想そのものであることがわかるのではないでしょうか。
(2011/11/25)