12:55

ナゾベームと信憑性

 「たくさんの鼻で立ってゆったりと ナゾベームは歩く 自分の子どもたちをひき連れて」

 1890年代にドイツの詩人モルゲンシュテルンが書いた詩の一部です。ナゾベームとは、ひとつもしくは複数の鼻で歩く不思議な動物、鼻行類(びこうるい、別名:ハナアルキ)のことで、1941年、スウェーデン人の探検家が太平洋上のハイアイアイ群島で発見しました。

 ドイツ人博物学者シュテュンプケは、一九六一年出版の著書「鼻行類-新しく発見された哺乳類の構造と生活」において、進化論的見地から14科189種の鼻行類について詳細な研究を展開しています。粘着力のある鼻汁をたらして魚を釣り上げる「ハナススリハナアルキ」や、大きな耳で空を飛ぶ「ダンボハナアルキ」などをはじめとした大変興味深い動物たちでしたが、ハイアイアイ群島自体が秘密裏に行われた核実験による地殻変動で沈没したため、愛すべきハナアルキたちも絶滅してしまいました。

 シュテュンプケの著書は、進化論に厳密に則った記述に解剖図や生態観察の様子の詳細な図解など科学分野の専門書の体裁を忠実に踏襲した学術書で、当初より学会内外に大反響を巻き起こしました。なかでも科学に内在する重要なテーマ「信憑性」に関する議論が注目を集めました。即ち、「ハナアルキは実在か、フィクションか」という議論です。

 鼻で歩く動物を学者も社会も知らなかったため信憑性が疑われたのですが、見たことがないという理由で存在を否定することはできません。同じく鼻が進化したゾウは、室町時代に初めて日本に来るまで日本人にとって信じがたい生き物でしたが、今では原生していない日本の動物園にもおり、一般化しているからこそ誰もその存在を疑わないのです。

 一方、シュテュンプケの著書「鼻行類」の記述は、科学的見地から見て理にかなったものでした。名だたる学者たちが論証しているとおり、ハナアルキの進化過程に自然科学的な意味で不可能なことはほとんどありません。学問的には信憑性があるのです。

 真偽の沙汰は?と言っても、ハナアルキもハイアイアイ群島にあったとされる研究機関と所蔵資料、そして「鼻行類」の参考文献に名を連ねる研究者たちで構成された大調査団はすべて海の下に沈んでしまい、今では真偽を確かめる術がありません。つまり、科学的に反証できない論理で提示された「事実」は、正しいと認識せざるを得ないのです。社会にとって未知の事象であっても、科学的に信憑性のある論理で展開されれば、確からしさがあるとみなされます。権威ある学者がその論理を擁護すれば、確からしさはさらに増えます。

 このような信憑性の議論は、原子力発電所のリスク評価にもあてはまるようです。現在、世界中の原子力発電所は多重防護というシステムで設計されています。このシステムのリスク評価に、世界ではじめて確率論を応用したレポート「WASH-1400」が1975年に出て以降、原子力発電所事故の発生確率が計算されるようになり、それは自動車事故など他の事故の発生確率より小さいという評価が定着しました。簡単に言えば、「2つの安全装置が同時に故障しなければ起きないタイプの事故の発生確率は、それぞれの装置が故障する確率の積で与えられるため、シビアアクシデントの発生確率は原子炉1基あたり10億年に1回(ヤンキースタジアムに隕石が落ちる確率と同じくらい!)となり、ほとんど無視できる」という論理を、原子力安全にかかわる名だたる学者たちが擁護してきたのです。しかし、最初の原子力発電所が稼働してから約半世紀のうちに、人類はスリーマイル、チェルノブイリ、そして福島と3回ものシビアアクシデントを経験してしまいました。

 科学という名の衣装をつけた信憑性の確からしさを、専門知識を持たない一般市民が認知することは大変に難しいことです。しかし、科学で示す信憑性は大抵シミュレーション・ゲームの盤上にあることを知っておくことが、確からしさの見当をつけるよすがとなるかもしれません。

 次回は、引き続きナゾベームと、お友達のブラックスワンが登場するシミュレーション・ゲームについてお話ししましょう。(次回に続く)
(2011/05/25)