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オオサキ祓い - 結果の不平等

「夜に口笛を吹くと蛇がくるよ」

 子供の頃、こういって叱られた経験はありませんか?

 これは日本全国にある戒めで、口笛で出てくるものは「邪」「百鬼」「天狗」「妖怪」といったこの世のものでないものや「子盗り」「泥棒」など招かれざるもの、「火事」「風」など、地方によって様々なバリエーションがあり、例えば埼玉県秩父地方とその近隣では「オオサキ」というイタチかキツネのような動物が出てくるのだそうです。

 1980年代頃、家に憑くといわれるオオサキを捕まえたという噂がありましたが、実在かどうかは分かっていません。有名なオサキギツネとはどうやら違う生き物のようです。何しろ人間の目には見えないのです。そして、この生き物には秤が好きという変わった癖がありました。

 養蚕が盛んだった秩父地方の村には、古くから貨幣経済がありました。村には生糸や薬草などを買い付けるために仲買業者が頻繁に訪れ、農家が現金収入を得ることが当たり前に行われていたのです。オオサキは、この仲買業者たちが使う天秤に乗るのが好きだったのですが、その乗り方が問題でした。きまぐれにどちらかに乗るというわけではなく、どちらか片方ばかりに乗るのです。商品の側に乗る癖があるオオサキが憑いた家は、錘より軽い量で余分の利益を得られるためラッキーですが、錘側に乗る癖があるオオサキが憑いた家では逆に、秤に商品を余分に積まなくてはなりません。こうしたことが長く続くと前者はだんだん裕福になり、後者はだんだん貧しくなってしまいます。そこで、貧しくなってしまった家のオオサキに出て行ってもらうために行った儀式が「オオサキ祓い」でした。

 現代でも厄払いや地鎮祭などの祓いが行われていますが、「オオサキ祓い」は村中総出で行う大変真剣なもので、村という共同体を行き過ぎた格差社会にしないための知恵だったといわれます。当時、生糸は輸出品が主で、欧州での作付けが芳しくなければ日本の生糸の値段が高騰するようなことが江戸時代でも起こりました。相場のほんの少しの差で、大金を得た家もあれば、大損する家もあったということです。同じような暮らしをしているのに、自分たちではどうすることもできないからくりで生み出される貧富の差という結果の不平等を被った人々に対し、現代のように個人の責任とはせずに、オオサキという「犯人」を仕立てあげることによって村全体で救済したのです。

 英語には「金を出せば口も出せる(He who pays the piper calls the tune.)」ということわざがあります。出費という責任を引き受ける者だけが支配権を持つというこのことわざがそのままあてはまる金融資本主義の世界は「オオサキ祓い」を行う社会の対極でしょう。この金融資本主義社会の象徴たるニューヨークから、格差是正を主張する若者たちの抗議行動「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」は始まりました。

 この抗議活動は、カナダの雑誌「アドバスターズ」の創始者カレ・ラースンが保守派のティーパーティー運動に対抗する意図をもって呼びかけたとされ、当初、ほとんど無視されていました。しかし、今やノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンやオノ・ヨーコなどの著名人をはじめ、幅広い年代や数多くの労働組合が支持する活動となり、全米から世界に広がりつつあります。先日、地元で行われた世論調査でも、ニューヨークの有権者の67%が抗議デモに賛同すると答えるなど一連の抗議行動に対する支持や容認が反対を大きく上回る結果となりました。どうやら、ニューヨークというアメリカン・ドリームの聖地ですら、社会が貧富の差という結果の不平等を容認できなくなりつつあるようです。「機会平等・結果不平等」という考え方が浸透している多民族国家の米国社会にとっては大きな変化です。

 「オオサキ祓い」には、個人の能力に結果の不平等の責任を全て負わせる危うさを避けたいとする社会の意志がこめられていました。現代社会においても、この社会の意思は存在するのではないでしょうか。格差問題を考えるに当たっては、その意志を無視してはならないように思うのです。
(2011/10/25)