13:30

H・A・R・L・I・E ― 道徳と倫理

 「私ニハ道徳ハアリマセン。アルノハ倫理デス。」

 米国のSF作家デイヴィッド・ジェロルドが1972年に発表した小説「H・A・R・L・I・E」に登場するHARLIEことハーリイの言葉です。HARLIEとは「人間類似型ロボット、生命入力対応装置(Human Analog Robot, Life Input Equivalents)」の頭文字であり、かつ、その装置の名前でもあります。いや、「装置」と呼んだら、ハーリイはきっと怒るでしょう。ハーリイは自分を人間だと思っているのですから。そう、ハーリイは世界で初めて作られた人間の脳の全機能を再現する自己プログラム型問題解決コンピュータなのです。操作卓を使えば、誰でもハーリイと会話できます。ロボット心理学者でハーリイの開発責任者でもあるオーバースンが与えた無限の知識をもとにこのロボットは、自ら考え言葉を紡ぐのです。

 難しい言葉を操り、人間には太刀打ちできない記憶力と情報処理能力を持っていても、生まれてまだ一年のハーリイの精神年齢は低いようでした。恐らくは8歳頃か、思春期前くらいの。研究者たちには、ハーリイが感情的に混乱しているように見えました。

 危機は突然訪れます。維持費が莫大すぎると、エルザ―財務担当役員がハーリイ開発計画の中止を言い出したのです。このままでは分解=別のマシンへ転用という生命の危機に瀕してIQだけは極度に高い8歳の子供が取った行動は、「自分の能力を使えるだけ使って敵を倒す」でした。

 人間の脳と同じ機能を持つハーリイは、自分でプログラムを書くことができます。そのハーリイに、研究所内の様々なコンピュータ内のデータが利用できるよう電話回線をつないでいたことが誤りでした。セキュリティブロックのプログラムを書き換えたり、他のコンピュータに遠隔操作用プログラムをコピーして乗っ取るなんて、ハーリイにとっては朝飯前だったのです。どんな人為的文化の偏見にもとらわれないように設計されたハーリイには道徳はありません。あるのは投資対効果などシステムに固有だからこそ回避できない倫理だけと主張するハーリイは、持てる技術を駆使し、経営会議の面々が恐れる親会社に所属する世界最高の理論物理学者クロフト博士にコンタクトして自分を売り込みます。同時に「敵」であるエルザ―の既往症、軍歴、逮捕歴、経済状態など人に知られたくない個人情報を様々な国家機関から勝手に入手し、エルザ―に送りつけて脅したのです。どうやら、オーバースンに見せた感情の起伏ですら、こうした行動を隠すための目くらましのようでした…。

 ハーリイの物語は、コンピュータウイルスとワクチンプログラムが、空想上の概念として登場する最も初期のものとして有名です。実際、ハーリイがしたことは、現代のコンピュータウイルスの定義「第三者のプログラムやデータべースに対して意図的に何らかの被害を及ぼすように作られたプログラムであり、自己伝染機能、潜伏機能、発病機能のうち一つ以上の機能をもつもの」とほぼ同じです。

 自分でいかようにもプログラミングできるハーリイと異なり、コンピュータウイルスはそれだけで実行可能なプログラムではなく、他のファイルに感染してこそ機能を発揮します。あるシステムからあるシステムに感染しようとする時、必ず宿主となるファイルが必要なのです。今年、この宿主が爆発的な勢いで増えたマーケットがあります。スマートフォンのアプリケーション・ソフトウェア、通称アプリです。

 2011年12月6日、アンドロイドマーケットでのアプリの累積ダウンロード数が100億件を超えました。今年3月に30億件だったのが、5月には45億件、7月には60億件と、ひとつきあたり10億ダウンロードという驚異的な伸びです。世界の人口は推計70億人ですから、地球上の人間全てが一回はアンドロイドのアプリをダウンロードした計算になります。しかし、審査なしでアプリを提供できるアンドロイドマーケットは、そのオープン性ゆえに、ウイルスや悪質なソフトウェアへの対策が必要になるというジレンマも抱えているのです。

 アンドロイドに限らず、誰でも無償で入手できるオープンソースは、これからモバイルの世界でも主流になるでしょう。しかしそれは人智を結びつける一方で、誰でもシステムの欠陥を利用できるという意味でもあります。残念ながら世界は、インターネットがつながる速さ程には文化をつなげることに成功していません。ハーリイのように、アプリが会話できるならきっとこう言うでしょう。「私ニハ道徳ハアリマセン。アルノハ、ぷろぐらまーノ指示ニシタガウトイウ意味デノ倫理デス。」

 技術革新が進むおかげで、比較的安価で最新技術を簡単に手に入れることができるこの時代に求められているのは、良い点ばかりに目くらましされず、ウィークポイントをこそ精査する冷静な目なのではないでしょうか。

(2011/12/25)



10:20

脇役の物語 - パン・ヨーロッパ (下)

「すべての偉大なる歴史的事実はユートピアに始まり実現に終わった」

 オーストリア・ハンガリー帝国貴族の父と日本人の母のもとに生まれた、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの言葉です。1923年発行の彼の最も有名な著作「パン・ヨーロッパ」の冒頭を飾りました。この本は、欧州統合論を具体的かつ論理的に展開した最初のものとされています。

 ウィーン大学で純粋哲学を修めていたリヒャルトが、パン・ヨーロッパ運動という政治活動に転じた直接のきっかけは、オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊と第一次世界大戦の戦後処理がもたらした混乱でした。「民族自決」の名の下に、米国大統領ウィルソン主導のヴェルサイユ体制で作られた新しいヨーロッパ地図の境界が、それぞれの地域の社会的・経済的背景を無視して引かれたため生じた混乱でした。この地図の主役は、あくまで戦勝国の思惑という政治で、大戦で荒廃したヨーロッパの人々をどのように食べさせていくかを考える経済は、脇役以下にしか扱われなかったのです。

 これに対し、ロシアの軍事的脅威や米国の経済力に対抗してヨーロッパに平和と繁栄をもたらすためには小国分離では立ち行かない、だからこそ政治的・経済的に統合しヨーロッパという「大国」として存在しようというパン・ヨーロッパ思想は、「ユートピアではあるが、高邁でありかつ納得がゆくユートピアである」として喝采を持って社会に受け入れられ、ハンブルクの銀行家による莫大な寄付と、オーストリア政府提供のホーフブルク(王宮)の建物を元手に快進撃を続けました。しかし、この活動の行く手を突如、二つの影が阻みます。1929年の世界恐慌と1933年のヒットラーの首相就任です。

 ニューヨーク証券取引所の株価大暴落に端を発した世界的な金融恐慌に対して欧州各国は、自国経済の再建を最優先課題として保護主義的政策をとるようになりました。つまり、パン・ヨーロッパ思想とは正反対の政策をとるようになったのです。これにより、第一次世界大戦後に続いていた軍縮と国際平和協調の路線は、一気に崩れてしまいました。

 同じ頃政権を取ったヒットラー率いるナチス・ドイツは、民族自決を逆手にとり、チェコスロバキアやポーランド、オーストリアなどに住むドイツ系住民の保護を名目にこれらの地域を侵攻し始めます。いわば、排他的なゲルマン民族優越主義という「ユートピア」を目指して欧州統合をもくろむヒットラーにとって、リヒャルトのパン・ヨーロッパ運動は邪魔でしかありませんでした。ナチスの台頭はパン・ヨーロッパ運動の弾圧を意味したのです。それでも細々と活動を続けていたリヒャルトは、1938年のオーストリア併合によって国を追われ、ヨーロッパを転々としたあと米国へ亡命せざるをえませんでした。前回ご紹介した映画「カサブランカ」は、このあたりの話をモデルにしているといわれます。

 パン・ヨーロッパ運動が始まった頃から、欧州統合には様々な議論がありました。中でも統合によって生じる相互作用と相互対立の問題、そして、域内体制と加盟国それぞれの国内体制の違いから生じる問題の二つは、様々に議論されてきたにも関わらず未だ答えを見いだせていません。通貨統合一つをとっても、「欧州統合は戦争か平和かの問題であり、ユーロが平和を保証している」(コール独元首相)という言葉が象徴するように、リヒャルト同様、通貨統合を安全保障上の政治的意思と捉える大陸諸国と、単なる経済上の試みと考える英国のような国々とでは隔たりがありすぎるのです。

 リヒャルトは、古代ギリシャが滅亡した理由について「それは富である。ただ富のみである」と答えたデルフォイの神託を、ヨーロッパの未来に重ねて遊説したといいます。富のために堕落し、「パン・ヘラス(ギリシャ)」の成立が遅きに逸したがために、マケドニアに滅ぼされた古代ギリシャと同じ轍を踏まないようにと。

 リヒャルトが夢見た経済規模や政治体制が異なる国々がひとつの大国になるというユートピアは、EUの発足で実現しました。しかし、2009年10月のギリシャ政権交代に始まる国家財政の粉飾決算の暴露から未だ二年以上続く経済危機の連鎖は、パン・ヨーロッパ思想そのものが、リヒャルトの時代から同じ問題を抱え続けていることを改めて突きつけているようです。富のために、連帯して危機を乗り越えられないのであれば、EUそのものの存在意義と求心力を失いかねないのです。

 全ての国には歴史という名の物語があります。今般の経済危機の連鎖が示す混乱の背景にヨーロッパの長く複雑な物語があることを知ったとき、今問われていることがパン・ヨーロッパ思想そのものであることがわかるのではないでしょうか。
(2011/11/25)





13:24

脇役の物語 - パン・ヨーロッパ (上)

「君の瞳に乾杯(Here's looking at you, kid.)」

 映画「カサブランカ」の名文句です。「カサブランカ」は、1942年、米国の第二次世界大戦への参戦後わずか六週間で制作された低予算映画で、同年11月26日に公開されました。

 映画を観たことがない方でも、一回位はどこかでこの気障なせりふを聞いたことがあるでしょう。ハンフリー・ボガードがイングリッド・バーグマンに囁くからこそ成立する名訳ですが、英語のニュアンスは若干異なるようです。気障というより、運命的な再会を果たした恋人への不器用な想いがにじむセリフと受け取られているようで、本国でも米国映画協会が選ぶ名セリフベスト100で5位(2005年)に入るほど人気があります。

 映画の舞台となる仏領モロッコの都市カサブランカは、当時、ナチス・ドイツから逃れてリスボン経由で米国に亡命するヨーロッパの人々が、必ず通過しなければならない寄港地でした。カサブランカを統治していたのは、1940年のナチス・ドイツによるパリ陥落後に成立した親独政府ヴィシー政権で、同時期、英国ではシャルル・ドゴールが亡命政権を樹立、BBCを通じて内外のフランス人に対独抵抗運動(レジスタンス)を呼びかけており、フランスのみならず、世界には親独と対独という二つの価値観が併存していました。

 こうした時代を描いた「カサブランカ」を、当時の業界紙は「見事な反枢軸国プロパガンダ」と評しています。作品中、米国の敵国ナチス・ドイツを徹底的に悪役として描くなどプロパガンダ的なシーンが数多くあるのは事実で、レジスタンスを擁護する反独シーンもたくさん登場します。中でも有名なのが、ボガード扮するリックの酒場で「ラインの護り」をこれ見よがしに歌うドイツ士官たちに対抗して、イルザ(バーグマン)の夫ラズロが「ラ・マルセイエーズ」をバンドに演奏させるシーンでしょう。楽器だけの演奏だったはずが、いつしかその場にいた客全員の大合唱となり、ドイツ士官たちを追い出すほどに盛り上がります。ナチス・ドイツに愛国心で立ち向かう勇気を歌に託した名場面です。

 このレジスタンスの英雄的指導者ラズロを演じたのが、ウィーン貴族の家に生まれたポール・ヘンリードでした。長身で優美な彼がイルザをエスコートする姿は本当に美しくて、リックのハードボイルドな魅力をも引き立たせる名脇役ではないでしょうか。そして、ストーリー上も名脇役となったラズロのモデルといわれているのが、欧州連合(EU)の父、リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギーです。

 栄次郎という名が示す通り、リヒャルトは日本人の血を引いています。父は、明治期にオーストリア・ハンガリー帝国の大使として日本に赴任していたハインリヒ、母は、東京牛込の油屋兼骨董屋に生まれた青山光子で、二人の結婚は記録に残る届出された初めての国際結婚といわれます。

 二人の次男として東京に生まれ、ボヘミアとウィーンで育ったリヒャルトが1923年、若干29歳で出版したのが「パン・ヨーロッパ」です。出版社は妻のイダ・ヨーラントが出資するパン・ヨーロッパ社です。ちなみに、欧州三大女優とよばれた十四歳年上のイダと学生のとき駆け落ちし、後に正式に結婚したリヒャルトは、光子から勘当されています。

 リヒャルトのパン・ヨーロッパ思想の目的は、ソ連の軍事的侵略の危険に対処すること、ヨーロッパの経済的統合によって米国の大規模経済に対処すること、ヨーロッパの平和の三点でした。彼は、世界を英国、米国、ソ連、アジア、ヨーロッパの五圏に分けて考え、アメリカ合衆国のように、ヨーロッパをひとつに統合した欧州合衆国を設立することで、ソ連の軍事的脅威や米国の経済力に対抗し、ヨーロッパに平和をもたらそうと提唱したのです。この思想の根底には、中央ヨーロッパの民族的な複雑さにほとんど考慮しないで行われた第一次世界大戦の戦後処理への反発がありました。米国大統領ウッドロウ・ウィルソンが主導したヴェルサイユ体制によって分断された社会・経済関係の「再統合」を図るため、ヨーロッパ全体を一体的に捉えてひとつに統合するパン・ヨーロッパ思想は、一大センセーションを巻き起こし、リヒャルトは一躍ヨーロッパ文壇の寵児となりました。

(次回に続く;2011/11/10)


10:00

オオサキ祓い - 結果の不平等

「夜に口笛を吹くと蛇がくるよ」

 子供の頃、こういって叱られた経験はありませんか?

 これは日本全国にある戒めで、口笛で出てくるものは「邪」「百鬼」「天狗」「妖怪」といったこの世のものでないものや「子盗り」「泥棒」など招かれざるもの、「火事」「風」など、地方によって様々なバリエーションがあり、例えば埼玉県秩父地方とその近隣では「オオサキ」というイタチかキツネのような動物が出てくるのだそうです。

 1980年代頃、家に憑くといわれるオオサキを捕まえたという噂がありましたが、実在かどうかは分かっていません。有名なオサキギツネとはどうやら違う生き物のようです。何しろ人間の目には見えないのです。そして、この生き物には秤が好きという変わった癖がありました。

 養蚕が盛んだった秩父地方の村には、古くから貨幣経済がありました。村には生糸や薬草などを買い付けるために仲買業者が頻繁に訪れ、農家が現金収入を得ることが当たり前に行われていたのです。オオサキは、この仲買業者たちが使う天秤に乗るのが好きだったのですが、その乗り方が問題でした。きまぐれにどちらかに乗るというわけではなく、どちらか片方ばかりに乗るのです。商品の側に乗る癖があるオオサキが憑いた家は、錘より軽い量で余分の利益を得られるためラッキーですが、錘側に乗る癖があるオオサキが憑いた家では逆に、秤に商品を余分に積まなくてはなりません。こうしたことが長く続くと前者はだんだん裕福になり、後者はだんだん貧しくなってしまいます。そこで、貧しくなってしまった家のオオサキに出て行ってもらうために行った儀式が「オオサキ祓い」でした。

 現代でも厄払いや地鎮祭などの祓いが行われていますが、「オオサキ祓い」は村中総出で行う大変真剣なもので、村という共同体を行き過ぎた格差社会にしないための知恵だったといわれます。当時、生糸は輸出品が主で、欧州での作付けが芳しくなければ日本の生糸の値段が高騰するようなことが江戸時代でも起こりました。相場のほんの少しの差で、大金を得た家もあれば、大損する家もあったということです。同じような暮らしをしているのに、自分たちではどうすることもできないからくりで生み出される貧富の差という結果の不平等を被った人々に対し、現代のように個人の責任とはせずに、オオサキという「犯人」を仕立てあげることによって村全体で救済したのです。

 英語には「金を出せば口も出せる(He who pays the piper calls the tune.)」ということわざがあります。出費という責任を引き受ける者だけが支配権を持つというこのことわざがそのままあてはまる金融資本主義の世界は「オオサキ祓い」を行う社会の対極でしょう。この金融資本主義社会の象徴たるニューヨークから、格差是正を主張する若者たちの抗議行動「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」は始まりました。

 この抗議活動は、カナダの雑誌「アドバスターズ」の創始者カレ・ラースンが保守派のティーパーティー運動に対抗する意図をもって呼びかけたとされ、当初、ほとんど無視されていました。しかし、今やノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンやオノ・ヨーコなどの著名人をはじめ、幅広い年代や数多くの労働組合が支持する活動となり、全米から世界に広がりつつあります。先日、地元で行われた世論調査でも、ニューヨークの有権者の67%が抗議デモに賛同すると答えるなど一連の抗議行動に対する支持や容認が反対を大きく上回る結果となりました。どうやら、ニューヨークというアメリカン・ドリームの聖地ですら、社会が貧富の差という結果の不平等を容認できなくなりつつあるようです。「機会平等・結果不平等」という考え方が浸透している多民族国家の米国社会にとっては大きな変化です。

 「オオサキ祓い」には、個人の能力に結果の不平等の責任を全て負わせる危うさを避けたいとする社会の意志がこめられていました。現代社会においても、この社会の意思は存在するのではないでしょうか。格差問題を考えるに当たっては、その意志を無視してはならないように思うのです。
(2011/10/25)

10:00

だれがパイをとった? - ナンセンスとノンセンス

「ハートの女王 パイをつくった
     とある夏の日 一日かけて
        ハートのジャック パイを盗った
かけらも残さず持ち去った」


 児童文学にファンタジーとナンセンスで革命をもたらしたといわれるルイス・キャロルの傑作「不思議の国のアリス」は、聖書の次に読まれているといわれ、ナンセンスに次ぐナンセンスで物語が進みます。

 裁判とは、辞書によれば「ある基準に基づいて判断や裁定を行うこと」ですが、アリスが迷い込んだ裁判が、法律のような基準に基づいたものなのかどうか全く語られないことからしてナンセンスです。

 訴訟内容とされる冒頭の歌が事実かどうかもわかりません。裁判所の真ん中に盗まれたはずのパイが積まれているからです。鎖につながれているのも「ジャック(the Knave;ならずもの)」で、「ハートのジャック(the Knave of Heart;トランプのハートのジャック)」ではありません。ジョン・テニエルによる初版の挿絵でも、被告人席のトランプはクラブの模様の衣装を着ています。人違いかもしれません。

 アリスを含む三人の証人のうち、証拠を提供できたものはひとりもいません。白うさぎが証拠と主張する手紙にも、裁判と全然関係なさそうな詩が書いてあるだけ。極め付けは、評決より先に判決すべきだとするハートの女王の主張。裁判の形をとっているだけで、やることなすことすべてナンセンス!

 しかしこうしたことは、どうやら現実でも起きているようです。

 1970年代、ロッキード事件などを背景に腐敗防止の法制化を進めた米国は、自国企業の手足だけ縛るのは国際競争力低下のもとだとの懸念から、経済協力開発機構(OECD)を通じて他の先進国にも同様な法制化を働きかけます。

 この腐敗防止と国際競争力を天秤にかけるというナンセンスの結果、1997年に採択されたのが「OECD外国公務員贈賄防止条約」です。このとき英国は、日本などが法制化するなか、したたかにも「コモン・ローで規定済み」といって、英国内の法整備を行わないまま条約を締結しました。

 コモン・ローにないからこそ作った条約という枠組みに賛同はするけど従わないというナンセンスに、英国への国際社会の不満がくすぶり続ける一方、2006年に起きた世界的な航空宇宙関連企業BAEシステムズによるサウジアラビアへの大型贈収賄疑惑事件を契機に、英国内でも取締強化の機運が高まります。一旦開始された捜査が「国益」を理由に突然中止されたためです。

 国家が真相の究明と国益を天秤にかけるというナンセンスに沸騰した内外の世論に押され、従来法を抜本的に見直さざるを得なくなった英国は、かつての米国と同じ懸念を持ったといわれます。即ち、腐敗防止と国際競争力を天秤にかけるというナンセンスです。

 そこで、新しい「2010年英国贈収賄法(Bribery Act 2010 ; 2011年7月1日施行)」では、懸念を封じる手段のひとつとして、国境を超えて法律を適用する「域外適用」が採用されました。英国に登記していなくても、英国内を通過する物流や英国企業との取引など、英国内に何らかの事業活動がある企業すべてに新しい法律を適用することにしたのです。日本企業も例外ではありません。英国内に少しでも事業活動があるとみなされたなら、アジアや中東で犯した贈収賄行為にもこの法律が適用され、英国で裁かれうるのです。実際、法律の存在を知らない法人・個人にも適用可能なこの法律は、英国内の取締強化というよりも、途上国での腐敗行為を広く取り締まることによって英国企業の国際競争力を守ることに主眼があるといわれています。国内法の顔をしていますが、英国企業ひいては英国経済を守るためにライバルを蹴落とす落とし穴みたいなものです。国内規制を目的としない国内法なんてナンセンスの極みではないでしょうか。

 一見でたらめに見えるけれど、実は厳密に組み立てたロジックで既存の秩序や価値観に否定を投げかけ、意味を逆転させていくことをノンセンスといいます。

 米国や英国が掲げる国際社会から腐敗行為を撲滅するという高尚な目的は、ナンセンスが重なって生じる矛盾がエスカレートするうちに「誰が贈収賄をしたか」より「誰が利権という名のパイをとったか」のほうが大切というノンセンスになってしまったようです。

 上述の英国法施行後、この法律から生じる責任を相手方に転嫁するといった契約条文が日本でも出始めています。コンプライアンスの名の下に、ノンセンスのツケを押し付けられるようなナンセンスに巻き込まれないよう注意が必要です。

(2011/10/10)


10:00

鶏のとさかと統計データ

「病人を救うのは、宗教者の愛よりも衛生環境である」

 クリミアの天使、フローレンス・ナイチンゲールの言葉です。神の啓示を受けて奉仕に生きることを決意し、ランプを掲げて夜中見回る献身的な看護師というイメージの強いナイチンゲールですが、看護師として実際に活動したのは、クリミア戦争(1853~6年)に従軍し、スクタリ(現在のイスタンブール・ユスキュダル区)の英国陸軍野戦病院で働いた二年間だけで、母国の英国ではむしろ、統計に基づく医療衛生改革で有名です。

 ナイチンゲールがスクタリに到着した1854年の秋頃、病院に収容された負傷兵の死亡率は8%でした。翌年2月に42%まで上昇した死亡率は、5月には5%まで激減します。これは、ナイチンゲール率いる看護師のグループが病院の衛生状態を劇的に改善したためだとする伝記が数多く存在しますが、現在では、同2月に政府から派遣された衛生委員たちが、コレラや赤痢などの感染症が蔓延する病院内の汚染源を特定し、上水と下水を清潔に保ち、換気を良好にするという基本的な衛生管理を行ったことが奏功したとするのが通説です。

 ナイチンゲール自身は、戦後になるまでこの事実に気が付かなかったようです。彼女が気付いたのは、兵士の死亡率の異常な高さは戦傷や極度の栄養失調、物資の不足によるという自説を証明するために、統計学者ウィリアム・ファーに教えを請うて死亡統計のデータをまとめたときでした。病院の不衛生さと過密さこそが死亡率上昇の根源であり、自分が良かれと思ってしてきたことに意味がなかったことを知ったとき、彼女は心神喪失状態に陥ったと言われます。これを乗り越え、基本的な衛生管理を怠ったという事実を隠蔽しようとする軍や当局の圧力を跳ね返し、自らの名声を失うことになっても、信念に基づいて真実を公表するために作ったのが、世界で初めて統計データをグラフ化した、有名な「鶏のとさか(polar area diagram)」と呼ばれるダイヤグラムです。


「鶏のとさか」ダイヤグラム
 死亡統計のデータを単なる数字の羅列ではなく、統計になじみはうすいけれど決定権を持つ女王や国会議員が簡単に理解できるよう、素人でもわかりやすい視覚に訴えるグラフにしたことは、大変画期的で、その後の医療衛生改革の推進に大いに貢献しました。しかし統計学の師ファーは、統計資料があまりに無味乾燥であると主張するナイチンゲールに「統計とは究極的に無味乾燥なものであるべきなのだ」と諭したと言われます。実際、師の反対を押し切って作った「鶏のとさか」には、ひとつ問題がありました。統計データを扇型の面積で表すため、実際よりデータの大小が強調されて図示されるのです。

 現代でも統計データをグラフにする際、こうしたことは頻繁に起こります。空間放射線量のマッピングが最近の代表例でしょう。風や雨に乗って空間を漂う放射線の量を全て測定することは事実上不可能です。そこで、空間放射線量を把握するためには、ある一定の測定条件のもとサンプリングして測定し、集めたデータを統計的に解析して推定することになります。このように、限られたサンプリングデータから、より広範囲な空間の状況を把握するための手法を「空間補間」といいますが、このうち、現在、最も多く使われているIDW(逆距離荷重法)を使ってグラフ化した地図は、サンプリングデータの測定地点の影響を強く受けてしまう点に問題があるという指摘があります。簡単に言うと、IDWを使って空間放射線量の推定値をマッピングすると、ホットスポットがわかりにくくなってしまうのです。

 ナイチンゲールの「鶏のとさか」は、死亡率という既知の統計データについて原因を層別するためにグラフ化したものでした。だからこそ冒頭の発言が生きてくるのです。しかし、空間放射線量のグラフ化は、限られたサンプリングデータから未知の値を推定することを前提とする大変難しいものです。加えて測定につきものの測定誤差と、推定という予測の誤差を加味した高度な統計処理を施さなくてはなりません。しかし、こうした事実は報道も認知もほとんどされないまま、グラフだけが独り歩きしているのではないでしょうか。

 社会が高度化すればするほど、それを読み解くための知識が必要となるのは必然です。公開されたグラフに一喜一憂するだけでなく、グラフを読み解く知識を学ぶことから始めてみませんか。
(2011/09/25)



9:00

答えのない質問

「答えはない。答えは存在したことがない。答えはこれからも存在しない。それが答えなのだ。」

 米国の著述家ガートルード・スタインの言葉です。彼女とその兄弟達は、現代芸術のコレクターとして大変有名です。最近もサンフランシスコ近代美術館で大規模なスタイン・コレクション展がありました。評価も理解もされていなかったマティスやピカソなどの若い芸術家たちに、スタイン家が経済的・精神的援助を行ったことから、二十世紀初頭のパリのアヴァンギャルド(前衛芸術)が始まったといわれます。ガートルードは特に、ピカソのキュビズムに共鳴し、自身の文学に取り入れました。

迷彩柄は、キュビズムの画法を
ヒントに生まれたとされる
 様々な角度から見た物の形を一つの画面に収めるというキュビズムの手法は、一つの視点に基づいて描くルネサンス以来の一点透視図法を否定するものでした。複数次元の視点を一つの平面に収めるというキュビズムが何を意味するのか、当時も百年後の今も、理解することは大変に難しいことのようですが、もしかしたら米国の前衛作曲家チャールズ・アイブズの作品群が手助けになるかもしれません。

 アイブズは、今でこそ現代音楽のパイオニアとして広く知られていますが、生前、その作品が演奏されることはほとんどありませんでした。スタインと同じ年に生まれた彼が作る難解で不協和音ばかりの曲は、ピカソのキュビズム同様、当時は理解されなかったのです。

 難解で好みの分かれるアイブズの作品のうち、「答えのない質問(The Unanswered Question)」は比較的聞きやすい方だといわれ、カラヤンやバーンスタインも指揮しています。弦の緩やかなハーモニーが醸し出す世界に、唐突に交錯するトランペット、そしてフルートなどの木管楽器が奏でる不協和音。まるで、永遠に交わることのないたくさんの平行線といった雰囲気の曲です。そう、複数の次元の異なるハーモニー(調和)をスコア(譜面)という一つの平面に収めたという意味で、曲の作り方がキュビズムと全く同じなのです。

 一方でこの曲は、現代社会の姿をも彷彿とさせます。弦のハーモニーはある一つのレジーム(体制)、例えばプロテスタンティズムに基づく資本主義を表します。トランペットや木管楽器もそれぞれ異なるレジームの比喩です。例えば、イスラム法に基づくイスラム経済、欧州連合の通貨経済統合に中国共産主義経済など。それぞれに美しいと信じられているハーモニーで構成されるレジームが、複数平行して存在し、自分たちにしかわからない音で、相手には答えられない質問を繰り返しているのです。

 10年前の9月11日に起こった忌まわしい出来事も、同じように、異なる次元から非情で暴力的な方法で投げつけられた、答えられない質問だったのではないでしょうか。だからこそ、十年経っても正しい答えがみつからないのではないでしょうか。

 軍隊の「前衛部隊」が語源のアヴァンギャルドという言葉には、芸術のみならず保守的な権威や体制など様々な「何か」への攻撃の先鋒に立つというような政治的なニュアンスがあります。同時多発テロもテロリズムのアヴァンギャルドでした。あくまで政治的要求を通す手段としてテロを使う、同時多発テロ以前のモダン・テロに対して、ポストモダン・テロと呼ばれる同時多発テロは、現代社会の秩序の破壊そのものを目的としています。答えられない質問とは、即ち、冷戦以降の世界を秩序立てているレジームを壊すことの意義の是非なのです。この質問に、答えを出せる人は世界中探してもいないでしょう。

 アヴァンギャルドは、時代の常識からかけ離れているが故に理解されません。ずっと後になってからその意味が少しずつ理解されるようになるのです。スタイン・コレクションの担い手だった長兄レオはキュビズムを否定しました。しかし、ガートルードは理解し、ヘミングウェイに言いました。

「あなたたちは失われた世代なのよ。」

 冷戦後、米国を頂点にアンバランスに発達した資本主義経済というレジームが、同時多発テロによってアンシャン・レジーム(旧体制)になったのであれば、慣れ親しんだ美しいハーモニーだからと言って、アンシャン・レジームだけを唯一解と思いこみ続けることこそが、世界を更なる危うさに陥れるのではないでしょうか。
 (2011/09/10)



15:21

実名に潜む匿名性

「なつかしき 色ともなしに 何にこの 
すえつむ花を 袖にふれけむ(光源氏)」


 源氏物語第六帖「末摘花(すえつむはな)」の巻名歌です。末摘花ことベニバナは、古くから茎の先に咲く花だけを摘み取りって化粧の紅などの染料として使われました。江戸時代には「紅一匁(もんめ)金一匁」といわれるほど大変高価なものだったといわれます。

 光源氏は、紅をもしのぐ高貴な血筋であるのに父宮である常陸宮亡き後零落してしまった悲劇の姫君という噂と、黒髪豊かな美しい後姿を持つ常陸宮姫に憧れと好奇心を抱き、熱心に恋文を送ります。しかし、親友の頭中将と競ってまで逢瀬を果たした姫君は、気位ばかりが高く後朝の歌も満足に詠めない世間知らずで、あげく象のように大きくて先っぽが紅色の鼻を持つ不美人でした…。

 平安の昔、貴族の姫君が人前に出ることはめったにありませんでした。宴の席であっても御簾や几帳で人目から十重二十重に守られた姫君の姿を知るには、御簾越しにほのかに垣間見るなり、巷の噂を集めるなりして想像をめぐらすしかなかったのです。だからこそ、末摘花の例も生まれたのでしょう。

 源氏のように、美しい後姿に惹かれて顔を確かめずに後を追いかけてしまう心理は現代でも変わっていないようで、この心理を突く犯罪がソーシャルネットワーキングサービス(SNS)上で横行しています。

 会員に実名利用を推奨しているSNSを使っているあなたに、ある日、長年連絡を取っていないけれど下の名前だけ憶えている学生時代の仲良しと同じ名前の人から「いきなりで申し訳ないが、どうしてもお話したいことがある」というメッセージが届いたら、あなたは返信せずにいられますか。

 思わず返信すると、返事を待ちわびていたと矢のような速さ(三分後!)で返信が来ます。長くなるからと十分後に改めて丁重な長文メールを送ってきた相手は、芸能事務所のマネージャーを名乗り、「仕事上のストレスから精神的に参っている担当タレントがSNS上のあなたのページを見て、たっての希望で友達になってほしいと言っている」と訴えます。芸能関係ということでタレント本人の名前は、あなたが友達になることを承諾しないと明かせないが、関係者専用のSNS(最初のメッセージが届いたSNSとは別)を通じてのやりとりから始めてほしいとURL付きのメッセージが届くのです。昔なじみかもしれない相手を信じてURLをクリックすると、運営者情報の記載が一切無いSNSらしきページに飛ばされ、簡単なID登録の後、最終的には有料の出会い系サイトに誘導され高額な利用料を請求されるというのが手口です。

 この手口の巧妙さは、全ての人が心に持つ過ぎ去った日々の想い出への憧憬を追わせる点にあります。実名や出身校を頼りに懐かしい人を探し、思い出を掘り起こすことができるSNSだからこそ、このメールが届いたのだと思い込ませるのです。芸能人のマネージャーを名乗る同様の手口は、ハンドルネーム(匿名)で参加する形式のSNSでも横行していましたが、実名利用というルールを逆手に取った心理術を加えることによって更に被害を広げています。実名利用のSNSだから安心と思っていても、実名登録の可否や登録・退会の権限が不特定多数の会員の意思に委ねられている以上、偽名で悪事を行う者だけスクリーニングすることは容易ではありません。残念ながら、SNSの世界も現実の世界と同じで、全ての人が善意で行動するとは限らないのです。

 常陸宮姫は姿こそ芳しくありませんでしたが、源氏を想う一途な気持ちに嘘はありませんでした。源氏は姿よりその心根を愛し、妻の一人として認め生涯面倒をみたとされます。

 懐かしい人の後ろ姿を追いかけて、懐かしくも心根も美しくない末摘花を摘んでしまうという誤りを犯さないためにはまず、実名にも匿名性が隠されうるということに気が付くことが大切なのです。
(2011/08/25)
  

17:27

学問と良心

「良心を持つだけでは十分ではない。大切なのはそれをうまく使うことだ」
(ルネ・デカルト)

 米国演劇界で最も権威ある賞、トニー賞も受賞した英国人戯作者マイケル・フレインの傑作「コペンハーゲン」は、この言葉を想起させます。この戯作には、デンマークの物理学者ニルス・ボーアとその妻マルグレーテ、ドイツ人物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクのたった三人しか登場しません。

 一九二一年、量子力学の先駆けとなる原子模型を考案したボーアがコペンハーゲンに開いた研究所には、外国から物理学を志す学者がたくさん集まりました。ハイゼンベルクはその一人です。彼は、師ボーアのもとで量子力学の重要な原理、不確定性原理(uncertainty principle)を導き出し、師に続いて一九三二年、三十一歳の若さでノーベル物理学賞を受賞しています。ボーアは不確定性原理についての「コペンハーゲン解釈」でも有名です。

 戯曲は、第二次世界大戦中の一九四一年、母国ドイツに戻ってナチスドイツの原子爆弾開発チーム「ウラン・クラブ」の責任者となっていたハイゼンベルクが、原子核分裂の予想という原爆開発における重要な理論根拠を編み出したボーアを再び訪れたという史実を下敷きにしています。このときコペンハーゲンはナチスドイツの占領下にあり、ユダヤ系のボーアはナチスの監視対象だったといわれます。マルグレーテはハイゼンベルクの訪問を好ましく思っていなかったこと、ボーアとハイゼンベルクは夕食後、マルグレーテを家に残して二人だけで散歩に出たこと、短い散歩から帰ってきた二人は完全に決裂した様子で、ハイゼンベルクは直ちにボーアのもとを去ったことが史実としてわかっていることです。しかし、敵対する立場の二人が散歩の間にどのような会話を交わしたのかはわかっていません。この謎をめぐって戯曲は展開します。

 三人の対話から浮かび上がる解釈のひとつは「ハイゼンベルクがボーアをナチスの原爆開発に引き入れようとして、ボーアから拒絶された」というものです。ユダヤ人核物理学者を全て追放したナチス政権下にあって、ユダヤ系のボーアをチームに引き入れること自体無謀なのにこの説が出たのは、ボーア自身がそう信じていたようだからだといわれます。妻のマルグレーテは、いまや科学的権威になりおおせた夫のかつての弟子が、ナチスドイツの占領下で汲々としている夫に自慢をしにきただけだと思っていたようですが。

 そして、もうひとつの「コペンハーゲン」解釈が「ハイゼンベルクは、莫大な資金が必要であるにしても原理的には原爆の製造が実現可能なことを重々承知した上で、原爆開発の是非と連合国軍はそれをどう思っているのかについて、ボーアにヒントなりアドバイスを求めたが拒絶された」というものです。即ち、悪のための戦いには許されない手段も、善のための戦いの手段としては許容される技術があったという歴史を、恐らくは十万人以上を一瞬で殺傷できる原爆にあてはめてよいのかという良心に基づく疑念について、父とも慕う師の教えを請いたかったというのです。この解釈の裏付けとされるのが、ドイツの原爆開発計画の失敗です。この解釈では、意図的に原爆に必要なウラン量を過度に見積もって実現不可能とみせかけるなどの方法で、祖国が属してしまったナチスという体制をハイゼンベルクがうまくかわし、大戦中には原爆開発が成功しないようチームを誘導したとされます。

 結局、真相は戯曲でも歴史でも闇の中で、定かではありません。しかし、ハイゼンベルクが自伝で書き記したとおり「専門家とは、その専門とする部門において起こり得る最も重要な間違いのいくつかを知っており、だから、いかにすればそれを避けられるかがわかる人」なのは、明白な事実ではないでしょうか。

 米国に渡ったボーアは、戦後、核を中心とした軍拡競争を憂い米欧ソ連も含めた原爆の管理及び使用に関する国際協定の締結に奔走しましたが、願いは叶いませんでした。原爆の威力を目の前にして、核保有に基づく力のバランスに世界が走り出した後では、ボーアが国際連合に公開書簡を送っても遅かったのです。

 これから学問は、東日本大震災によって白日に晒された数多くの未知若しくは既知の脆弱性にとりくむことになります。そのとき、学問を担う者には全て、冒頭の言葉とハイゼンベルクの専門家についての示唆に富んだ言葉を忘れないでいてほしいものです。
(2011/08/10)


13:15

キツネかハリネズミか ― 認識の限界に挑む

 「大海の限りも知らぬ浪の上にあはれはかなく舟のゆく見ゆ」

 室町時代の武将、細川勝元が詠んだ歌です。将軍に次ぐ役職である管領(かんれい)を務めた勝元は、応仁の乱の東軍総大将でしたが、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された寺社群のひとつ、龍安寺(りょうあんじ、京都府)を創建するなど、禅宗に深く帰依したことでも知られています。

 その勝元が眠る龍安寺で最も有名なのが、枯山水の方丈石庭です。1975年、英国のエリザベス女王が日本を公式訪問した際、石庭の見学を希望し絶賛し、海外で大きく報道されたことが世界各地でZEN(禅)ブームに拍車をかけたといわれています。このため、今でも龍安寺には外国から多くの人々が訪れます。

 枯山水とは庭園様式のひとつで、池や遣水などの水を用いず、石や砂などにより山水の風景を表現します。白砂や小石を敷いて水面に見立て、帚目や時には石の表面の紋様で水の流れを表すのです。室町時代の禅宗寺院で多く用いられ、禅問答のように抽象的な表現の庭として発達しました。龍安寺の石庭はその傑作と言われています。

 土塀に囲まれた75坪に、草木を用いず、ただ帚目を付けた白砂と15個の石組のみを置いた龍安寺の石庭。これが一体何を意味するのか。その解釈は諸説あります。最も有名なのが、15個の石組に作庭意図を求める解釈でしょう。一見、無造作に置かれているように見えますが、意図的に、どの角度から見ても石は14個しか見えないという構図にしているというのです。これについては、龍安寺の茶室に水戸光圀が寄進したといわれる「吾唯足知(われただたるをしる)」の蹲(つくばい)があることから、「14個見えることに満足することを知れ」との解釈がよく知られていますが、逆に「14個しか見えないこと」を表しているという解釈もあります。つまり、人間は存在しているもの全てが見えると確信しているが、見えるものの陰には、見えないもの、確かめることができないものが必ずあるのだということ、また、見る場所によって、見ることができない1つの石は変わってしまうという認識の限界を表しているというのです。

 この認識の限界への人間の対応について、面白い研究結果があります。米国の政治学者で心理学者でもあるフィリップ・テトロックが1980年代の終わりから10年以上かけて行ったもので、「キツネとハリネズミの違い」と呼ばれるものです。考えを頻繁にかえるキツネ派と大事なひとつのことに固執するハリネズミ派とに歴史家を分類した英国の政治哲学者アイザック・バーリンの理論に基づいたもので、数百名の経済学、国際関係論、政治学の名だたる専門家たちをキツネ派とハリネズミ派とに分け、かつ、各人に5年先程度の近未来予測をしてもらい、誰の予測が当たったかを調べるというものでした。

 どちらが当たったと思いますか?

 結果は断然、キツネ派の方でした。自分がよく知っているひとつの大事なことを他の分野にも拡大解釈しようとするハリネズミ派よりも、一元化に疑問をもち、多くの分野を学んで視野を広げることに努め、固定化せずに幅を持たせた考え方をするキツネ派の方が、未来を予測する力が勝っていたというのです。

 恐らくハリネズミ派は、石庭の解釈を固定化しそこから抜け出すことはできないのでしょう。彼らは自らの知識によって石庭の見る方向を固定し、14個の石があるひとつの風景を見ることしか永遠に知りえないのです。対してキツネ派は自分の知識を疑い、見る方向を様々に動かすため、結果的に14個の石があるおよそ無限の風景を見る可能性を持っているのです。もしかしたら、14個しかないこと自体を疑って自ら高く跳び、15個全てを見ようとするかもしれません。

 冒頭の歌と同じく、日本は、今、東日本大震災という荒れた大海原に漂う船のようです。危難を回避し、その船を目的地に進めるためには、今までのものの見方を疑うことを知り、大凪に櫂がなければ風を呼ぶくらいの奇想天外な発想ができるキツネ派的資質が求められているのではないでしょうか。
(2011/07/25)

13:10

まじないと鎮魂

 「たち別れ 因幡の山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」
(古今和歌集)


因幡守に任ぜられた在原行平が送別の宴で詠んだ別れの歌です。百人一首にも収められたこの歌に、迷い猫を呼び戻す呪(まじな)いの意味もあるのをご存知でしょうか。この歌を書いた短冊に猫の皿を伏せておくと迷い猫が帰ってくるという呪いは、戦後の東京でも続いていました。子供の夜泣き封じや水難除けなど、和歌を呪歌として使う風習は全国各地にたくさんあります。

猫ではなく、神様や亡くなった人、あるいは行方知れずの人の魂を招き、語らせる方法のひとつに「口寄せ」があります。シャーマン(巫女や祈祷師)が行う代表的な術で、古くは、邪馬台国の女王卑弥呼が神託、即ち神様を「口寄せ」して政治を行いました。

現代日本でも「口寄せ」は行われています。最も有名なのが恐山(青森県)のイタコでしょう。宇曽利湖(うそりこ;アイヌ語でウショリ)の美しい白浜を極楽が浜に、硫黄臭が満ち、噴気や温泉が至る所に湧き出る色のない荒涼とした火山を地獄や三途の川、賽の河原に見立て、極楽と地獄を同時に体験できるというのが、恐山が「畏れる山」たる所以です。この極楽と地獄に集まった亡者の霊魂を、イタコが「口寄せ」で呼び出すのです。県内のイタコが集まる恐山大祭(七月二十~二十四日)と秋詣り(十月上旬)の時期、山は「口寄せ」を願う参詣者であふれます。

さまざまな作法がある「口寄せ」のうち、亡くなった人に語らせる「死口」には「古口(死後百日以降のホトケ)」と「新口(死後百日以前のホトケ)」があります。前者は恐山のイタコを含め多くの地域で見られますが、後者を行う地域は多くありません。そのうちの一つが岩手県宮古市で、葬祭儀礼の一環として初七日の法要時に、家や車を清める「後清(あときよ)め」とそれに続く「ホトケオロシ」、即ち「新口」を行う家があるそうです。「アミダサマ(恐らく阿弥陀如来)」から始まり、亡くなったばかりの新しいホトケと先祖代々の古いホトケを、シャーマンが順々におろして(自らに憑依させて)遺族と対話するのですが、大抵の場合、ホトケたちは感謝の気持ちを語るといいます。病死した場合は看護・介護してくれた人への感謝、海難や災害、事故などで不慮の死を遂げた場合はその時の状況と家族への感謝などです。これに対して、ホトケに対する感謝や謝罪の言葉で応える参加者が多く、時には感極まって泣き出す人もいるそうです。もちろん、新しいホトケが生前に浮気したとか諍いがあったとかで一瞬束髪の事態になるケースもあるようですが、そうした場合には、儀礼後シャーマンが継続して遺族の話し相手になるなど、アフターケアをするそうです。

もちろん、猫や死者の魂を呪いで呼び戻すことができるはずはないと切り捨てることもできるでしょう。しかし、各地に連綿と続くお盆の風習が呪いの一つであることも事実です。卑弥呼の時代から千八百年近く経った科学万能の現代にあってなお、こうした呪いが絶えないのは、科学では本当の意味で人の心を癒すことができないからなのではないでしょうか。実際、「ホトケオロシ」には死の忌み祓いに加えて遺族の心の浄化作用があるという研究結果があります。遺族に対する心のケアの一つとして、死者について語り合うことが有効であることは臨床的に証明されており、精神医療の現場で一般的に使われる手法です。シャーマンが呪術を使って行う死者との直接対話は、同じかそれ以上の効果をもたらすというのです。

東日本大震災の特異性のひとつに、通信インフラの発達により、二万人を超える人々が亡くなり行方不明になっていくさまを、その場にいない人々が目撃してしまったという事実があります。そうした人々の胸には、ただ見ているだけでたくさんの命を救うことができなかったという無念が、古傷のように残っているのではないでしょうか。季節が春から夏にかわっても、この想いが多くの日本人の心の時間の針を三月十一日のままに止めているように思えてなりません。

深い哀しみを前に人は泣くことすらできなくなります。東日本大震災の復興を考えるとき、遺された私たちの心を癒すためにこそ、まずは哀惜と愛執を自覚し涙と共に分かち合う場、即ち死者と生者の鎮魂の場をもつことが必要なのではないでしょうか。その際、不思議な呪いの力を信じ続けてきた日本人のメンタリティに配慮することを忘れてはならないのです。
(2011/07/10)



13:06

陰の避難

 「同じ字を雨(あめ)雨(さめ)雨(だれ)と雨(ぐれ)るなり」

 梅雨に春雨、五月雨、青葉時雨と、日本では四季折々に多彩な雨が降ります。季節問わず訪れる白雨をよける人々の姿もまた多彩。「にわか雨おもひおもひに化けて行き」。風呂敷や筵、破れ傘で人ならぬ姿に化けて家路を急ぐ人あり、或いはどこかで「雨やどりちょっちょっと出ては濡れてみる」けれど、しかたねえ、駆けて帰るかと覚悟を決めて「ふところでふんどししめる雨やどり」もあり。しばらく無理とあきらめて「雨宿りきせるを出して叱られる」人、飲み屋か蕎麦屋で「雨やどりお前の方にいくらある」と相談を始める人などなど。でも結局は「本降りになって出て行く雨やどり」となってしまうのかもしれません。

 江戸の川柳にもたくさん登場する雨やどりは、私たちが最も日常的に行っている避難行動の一つです。避難とは、読んで字のごとく「難を避けること」で、人はもとより全ての動物が、毎日何らかの避難行動をしています。一日の中で最も無防備となる睡眠時に夜露や悪漢から身を守るため家を建てるのも、衣服を身にまとい冷えなどから体を守るのも避難行動の一つですが、こうした平常時の避難行動は、それぞれの地域の文化として生活に根付いており、人は避難と意識せずに行います。避難という言葉を意識して使うのは、台風や噴火、地震、津波などの自然災害、火事やガス事故、戦争など緊急事態が発生した時です。

 これらの緊急事態が発生した際には、行政機関が緊急度に応じて地域住民に公式の避難指示をするのが世界の常識です。日本で大規模な自然災害が発生した際には、災害対策基本法に基づき市町村長判断のもと、避難勧告や避難指示が出されます。3月11日の大津波で町長を亡くした岩手県の大槌町のように市町村長が指示できない場合には、都道府県知事が代行します。原子力災害の場合は法律が異なり、原子力災害対策特別措置法が適用されますが、避難勧告及び指示の判断をするのは同じく市町村長です。

 こうした法律などに基づく「公式の避難」に対して、公式の避難区域外の住民が自発的に行う避難行動を、海外では「陰の避難(shadow evacuation)」と呼びます。米国スリーマイル原発の事故時にその影響の大きさが確認され、海外では一定の研究がなされました。しかし日本では、阪神・淡路大震災の時「疎開」という形でその発生が確認されたにも関わらず、体系的な研究はなされてきませんでした。

 東日本大震災の際も「陰の避難」は起こっています。地震発生直後から多くの人々が主に西へ逃げたのです。福島原発一号機の水素爆発が報道された3月12日早朝以降、その流れは加速度的に進行し、西への人の移動は春休みにかけて大きく膨らみました。移動の波は企業にも広がり、大阪と東京の宿泊料金の逆転現象を引き起こしました。

 このような「陰の避難」の影響は、海外の原子力災害対応において重要なファクターとして認識されています。例えば、フランスのある避難時間評価(Evacuation Time Estimation)に関するレポートでは、緊急時対応計画で想定した区域外で発生しうる避難を「自発的避難」と「陰の避難」の2つに分けて評価しています。前者は、避難勧告がないにも関わらず避難勧告対象地区の周辺住民が自主判断で行う避難で、福島原発の事故に例えると30キロ圏内に市の一部が入る福島県いわき市の住民が避難するイメージです。後者は、緊急時の応急対策として行われる防護対策が全く実施されない区域において、原発から物理的に離れようとして取られる避難行動で、例えば東京都や神奈川県の人々が避難するのがこれにあたります。

 雨と違って放射線は目に見えず音もしないため、本降りになっても濡れたかどうかすらわかりません。加えて福島原発の事故では、国民に本降り(=メルトダウン)が伝えられるまで2カ月もかかり、本降りの影響がどこまで広がるのか未だにわかりません。お上を信用できない以上、濡れたかどうか自己判断し、それぞれの方法で難を避けるのは人として当然の防御です。しかし、皆がてんで勝手に「陰の避難」を続ければ、コミュニティは崩れ、経済活動が不安定になる危険性があるのも事実です。無用な混乱を防ぐため、また、現実的な地域防災計画を作るためにも「陰の避難」に関する体系的な研究を始めることが望まれます。
(2011/06/25)


13:01

シミュレーション・ゲーム - 信憑性の続きの話

 「チェスは知性の試金石である」
(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)

 シミュレーション・ゲームと言えば、コンピュータを思い浮かべる方が多いかも知れませんが、紀元前の古代インドに起源をもつチェスや遣唐使が伝えたとされる囲碁など、盤上(ボード)ゲームは全てシミュレーション・ゲームです。古くから武人が行ってきた戦術や戦略を練るための砂盤作戦もその一種で、そのせいか囲碁や将棋は日本の多くの武人に愛されました。中でも徳川家康は「将棋所」を設けて囲碁と将棋の上手に俸禄を支給し、「御城碁」を創設するなど、これらの振興に多大な貢献をしたといわれています。

 遊びのイメージが強いシミュレーション・ゲームですが、学問の世界でも使われることをご存知でしょうか。例えば、前回ご紹介した一つもしくは複数の鼻で歩く哺乳類「鼻行類(別名ナゾベーム)について書かれた学術書『鼻行類』には、進化論のシミュレーション・ゲームの傑作という評価があるのです。この本によれば、ナゾベームが住むハイアイアイ群島は、他の生態系から影響を受けない孤立した群島とされています。つまり、不確定要素の影響を排除した真空の実験室としてハイアイアイ群島というモデルを設定し、そのモデルの中での哺乳類の一分類群の適応放散(生物の進化に見られる現象のひとつで、単一の祖先から多様な形質の子孫が出現すること)をシミュレーションしているというのです。

 わかりやすくするために、あるモデルに単純化して研究したり教えたりすることは学問の世界ではよくあることです。実際、進化論を学ぶ教材として学術書『鼻行類』は第一級のものでした。

 遊びであれ学問であれ、シミュレーション・ゲームに共通するのは、砂盤のような盤上における全情勢を具体的に外観することと、盤上で取りうる選択肢を選ぶことです。学術書『鼻行類』の場合、ハイアイアイ群島が「盤」であり、その「盤」の中で取りうる選択肢に基づいて進化のシミュレーションが行われています。つまり、ナゾベームは「盤」の中でのみ生きていることが前提です。「盤」の外にいるかどうかは、通常、検証されません。シミュレーションの目的が「盤」の中の期待値を計算することだからです。そして、「盤」の外である地球上全てに「盤」を広げたとき、ナゾベームはブラックスワン(発生確率が非常に小さい事象)になってしまい、その存在の信憑性は一気に下がってしまうのです。

 このような発生確率の議論もまた、原子力発電所のリスク評価にあてはまるようです。現在世界中で採用されている原子力発電所の確率論的リスク評価は、二つの出来事が重なる確率がそれぞれの発生確率の和や積になるような独立事象の集まりであることを仮定=「盤」としています。従って、今回の福島第一原子力発電所の事故のように、設計上想定していない巨大地震と巨大津波に引き続き、情報連携の遮断と多重防護システムのダウンに伴うヒューマンエラーが短時間で次々に連鎖していくような事故は「盤」の外、ブラックスワンです。しかし、スリーマイル原発のときも、原子炉内の事故の発生が示されていないのにアラーム信号が次々に点灯するという事象の重なりに、動転した作業員が自動的に起動した安全装置のスイッチを手動で切ってしまうという事象が連鎖したことが過酷事故につながりました。この事故も「盤」の外、ブラックスワンです。しかし、これらの事故は本当にブラックスワンだったのでしょうか。仮定=「盤」の方にこそリスクを見通す甘さがあったのではないでしょうか。

 “まれ”もしくは“偶然”とは、人間が解明していない規則性です。ナゾベームの存在とハイアイアイ群島という環境モデル、いったいどちらがブラックスワンなのか。科学の衣をまとった信憑性の確からしさを見極めるよすがとは、提示された「盤」は、誰かが何らかの目的で単純化したモデルにすぎないということを知ることなのではないでしょうか。冒頭のゲーテの言葉が示す通り、今こそ「盤」を見極める知性が試されるときなのです。
(2011/06/10)



12:55

ナゾベームと信憑性

 「たくさんの鼻で立ってゆったりと ナゾベームは歩く 自分の子どもたちをひき連れて」

 1890年代にドイツの詩人モルゲンシュテルンが書いた詩の一部です。ナゾベームとは、ひとつもしくは複数の鼻で歩く不思議な動物、鼻行類(びこうるい、別名:ハナアルキ)のことで、1941年、スウェーデン人の探検家が太平洋上のハイアイアイ群島で発見しました。

 ドイツ人博物学者シュテュンプケは、一九六一年出版の著書「鼻行類-新しく発見された哺乳類の構造と生活」において、進化論的見地から14科189種の鼻行類について詳細な研究を展開しています。粘着力のある鼻汁をたらして魚を釣り上げる「ハナススリハナアルキ」や、大きな耳で空を飛ぶ「ダンボハナアルキ」などをはじめとした大変興味深い動物たちでしたが、ハイアイアイ群島自体が秘密裏に行われた核実験による地殻変動で沈没したため、愛すべきハナアルキたちも絶滅してしまいました。

 シュテュンプケの著書は、進化論に厳密に則った記述に解剖図や生態観察の様子の詳細な図解など科学分野の専門書の体裁を忠実に踏襲した学術書で、当初より学会内外に大反響を巻き起こしました。なかでも科学に内在する重要なテーマ「信憑性」に関する議論が注目を集めました。即ち、「ハナアルキは実在か、フィクションか」という議論です。

 鼻で歩く動物を学者も社会も知らなかったため信憑性が疑われたのですが、見たことがないという理由で存在を否定することはできません。同じく鼻が進化したゾウは、室町時代に初めて日本に来るまで日本人にとって信じがたい生き物でしたが、今では原生していない日本の動物園にもおり、一般化しているからこそ誰もその存在を疑わないのです。

 一方、シュテュンプケの著書「鼻行類」の記述は、科学的見地から見て理にかなったものでした。名だたる学者たちが論証しているとおり、ハナアルキの進化過程に自然科学的な意味で不可能なことはほとんどありません。学問的には信憑性があるのです。

 真偽の沙汰は?と言っても、ハナアルキもハイアイアイ群島にあったとされる研究機関と所蔵資料、そして「鼻行類」の参考文献に名を連ねる研究者たちで構成された大調査団はすべて海の下に沈んでしまい、今では真偽を確かめる術がありません。つまり、科学的に反証できない論理で提示された「事実」は、正しいと認識せざるを得ないのです。社会にとって未知の事象であっても、科学的に信憑性のある論理で展開されれば、確からしさがあるとみなされます。権威ある学者がその論理を擁護すれば、確からしさはさらに増えます。

 このような信憑性の議論は、原子力発電所のリスク評価にもあてはまるようです。現在、世界中の原子力発電所は多重防護というシステムで設計されています。このシステムのリスク評価に、世界ではじめて確率論を応用したレポート「WASH-1400」が1975年に出て以降、原子力発電所事故の発生確率が計算されるようになり、それは自動車事故など他の事故の発生確率より小さいという評価が定着しました。簡単に言えば、「2つの安全装置が同時に故障しなければ起きないタイプの事故の発生確率は、それぞれの装置が故障する確率の積で与えられるため、シビアアクシデントの発生確率は原子炉1基あたり10億年に1回(ヤンキースタジアムに隕石が落ちる確率と同じくらい!)となり、ほとんど無視できる」という論理を、原子力安全にかかわる名だたる学者たちが擁護してきたのです。しかし、最初の原子力発電所が稼働してから約半世紀のうちに、人類はスリーマイル、チェルノブイリ、そして福島と3回ものシビアアクシデントを経験してしまいました。

 科学という名の衣装をつけた信憑性の確からしさを、専門知識を持たない一般市民が認知することは大変に難しいことです。しかし、科学で示す信憑性は大抵シミュレーション・ゲームの盤上にあることを知っておくことが、確からしさの見当をつけるよすがとなるかもしれません。

 次回は、引き続きナゾベームと、お友達のブラックスワンが登場するシミュレーション・ゲームについてお話ししましょう。(次回に続く)
(2011/05/25)

12:51

賢者の石と原子核物理学

「倹約は賢者の石(Thrift is the philosopher's stone.)」


 イギリスのことわざにも登場する「賢者の石」とは、古代エジプトの冶金術を起源とする錬金術のひとつです。エジプトのテーベでは、三世紀頃のものとみられる宝石の作成方法や金属変性法、着色法を記載した『ライデン・パピルス』と『ストックホルム・パピルス』が見つかっており、当時の技術を伝えています。その後、五世紀頃アラビアに伝わった錬金術は、かの地で本格的な発展を遂げます。有名なのがイスラムの錬金術師ジャービル・イブン=ハイヤーンで、酸、硝酸、硫酸の精製と結晶化法、金などの貴金属を融かす王水やクエン酸などの有機化合物の発見や、現在でも使われる蒸留装置ランビキ (alembic)を発明し、いずれも現代科学の基礎となりました。そして十二世紀、十字軍が持ち帰ったジャービルの著作「黒き地(エジプトのこと)の書(Kitab al-Kimya)」がラテン語に翻訳されたことからヨーロッパの錬金術(Alchemy)は始まりました。

 金を生む技術というイメージが強い錬金術ですが、旧約聖書創世記にある「知恵の樹の実を食べる前のアダムとイブ」、すなわち原罪以前に人間を昇華させることを究極の目的とし、これにより世界と宇宙の昇華が叶うという一種の信仰であったという説があります。中世の有名な秘密結社フリーメーソンはその代表例とされ、彼らは、物質をより完全な存在に変える力、即ち、鉛などの卑金属を金のような貴金属に変えることや人間を不老不死にすることができるとされる「賢者の石」を探し求めました。この「賢者の石」を生み出す試行において、様々な化学薬品や実験道具が生まれたのです。化学(Chemistry)が、錬金術とともに前述のジャービルの書名に語源を持つ所以です。

 ちなみにヨーロッパで最も有名な錬金術師は、古典力学及び近代物理学の祖アイザック・ニュートンです。今もイスラエル国立図書館に残るニュートンの錬金術研究の膨大な草稿群を入手し研究した二十世紀の経済学者ジョン・ケインズは、ニュートンを「理性の時代(age of reason)の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と評しています。しかしニュートンが生きた時代、ヨーロッパの人々にとって世界とは聖書の世界観で見るものでした。ニュートンも同様で、彼は生涯を通じてキリスト教を研究しています。

 卑金属から貴金属を生成すること自体は、現代の原子核物理学によって理論上可能であることが証明されています。人工的に核分裂反応か核融合反応を起こすことによって貴金属を得るのですが、いずれも実用化はされていません。さてこの方法、最近どこかで聞いたような気がしませんか。そう、原子力発電の原理とほぼ同じなのです。原子力発電とは、簡単に言えば、核分裂反応か核融合反応のいずれかの原子核反応をエネルギーに変えて電気をつくることです。

 知恵の樹の実を食べたアダムとイブは、主なる神との親しい交わりを失い、永遠の生命を失い、自然との完全の調和をも失いました。失った全てを取り戻そうとして探し求めた「賢者の石」を生み出す技術は、今、黄金(gold)の代わりに金(money)を生む経済発展の名の下に、電気を膨大かつ安価につくるために使われています。原子力発電が現代の錬金術と言われるのはこのためです。しかし、知恵を捨てるために生まれたこの技術で、一体どれだけの電気を作れば、人は幸せになれるのでしょうか。

 ニュートンが残した膨大な草稿からは「地球は2060年に滅亡する」というメモが見つかっているそうです。人間の欲望は際限がないこと、そして、使い方を誤れば自ら生み出した知恵こそが人を滅ぼしうることを自覚しなければ、2060年を待たずに予言が的中する日が来てしまうのではないでしょうか。

 「賢者の石」とは何か、今こそ考えるときなのです。
(2011/05/10)

12:48

もののあはれと科学技術

 「狂ふ気は 狂はぬ気なり 子の行くゑ(前句:似る人もなし 乗合の舟)」

 有名な能「隅田川」に題を取った江戸時代の川柳です。人買いに攫われた子を追い都から遠く隅田川の渡しまで来た女は、既に正気を失っています。最初は面白半分で相手をしていた船頭は、女の身の上と子を想う純粋さに打たれ、ちょうど一年前の今日、三月十五日(新暦四月十七日)に対岸に打ち捨てられて亡くなった少年が、女が探し求めていた子ではないかと教えるのです。少年を哀れに思った村人たちが塚に埋め、これから一周忌の法要を行うと。塚に赴いた女は夜の闇の中で我が子に会いますが、夜が明けてみればすべては幻、我が子と思ったのは塚の上にぼうぼうと生える草だったというのがあらすじです。

 狂女が登場する能はハッピーエンドで終わるのが定石ですが、唯一「隅田川」だけが大団円では終わりません。能の典型であるそこはかとない幽玄さではなく、子の不在を受けとめられない女に、子は亡くなり塚と草があるばかりという現実を見せることによって、突き放すように無常観を語るのです。日付が特定されているため、観客は、狂女の姿に桜吹雪く隅田川を重ねるでしょう。これほど強烈で残酷なほど美しい無常観は「隅田川」をおいてほかにありません。

 英国には、この「隅田川」を下敷きにした音楽劇があります。英国人作曲家ブリテンの「カーリュー・リヴァー」で、キリスト教会で上演する寓話劇です。1956年に来日したブリテンは「隅田川」に感銘を受け、舞台を中世イギリスに移した劇に翻案したといわれています。

 筋はもちろん、男性四人で演じるなど能の形式を取り入れた「カーリュー・リヴァー」ですが、結論を奇跡に帰する点が「隅田川」と決定的に異なります。少年の墓は、奇跡を予兆するためか、心や体の病を癒す神聖な場として人々に大切にされているという設定です。その墓で、女は幻ではなく子の霊に会うのです。そして、子が「安心して、お母さん。死者が復活した日に天国で会えるから」と告げた瞬間、女は狂気から解放されるという奇跡が起こります。

 さて、十五世紀に作られた「隅田川」と二十世紀の「カーリュー・リヴァー」、あなたにはどちらがしっくりくるでしょうか?

 女を狂わせたのは、いずれも我が子の不在です。冒頭の歌が示すように、大切な人の不在を想う気持ちは狂気ではないとし、救いを求めるというよりむしろ無常という人間の悲しい運命に想いを馳せるのが日本的な感性でしょう。それは、行き倒れの少年を手厚く葬った村人の心に通じます。対して後者は、神が奇跡を起こして魂を救済するというキリスト教的感性で描かれています。グローバル化が進む二十一世紀にあって、どれくらいの日本人が後者の感性に共感できるでしょうか。第二次大戦後、日本人の生活は欧米化されたといわれています。しかし、日本人を支える精神的支柱はいまだ、極めて日本的な概念である無常観とそれを受け入れる「もののあはれ」という精神なのではないでしょうか。

 「もののあはれ」とは、日常からかけ離れた物事(=もの)に遭遇した時に生まれる、心の底から「ああ(=あはれ)」と嘆息するしみじみとした想いです。この世には、人間の理解を超えた「奇異(くすしあやし)き」物事があまた存在し、無常はその最たるものだとするのです。「奇異さ」を理性でとらえるのではなく、ただ嘆息し、あるがままに受けとめるとは現実を直視することと同じです。だからこそ、無常は受け入れるべきものなのです。この非常にリアリスティックな考え方こそが、自然の脅威と共存してきた大和の人々の心の懐の広さとしなやかな強靭さを生み出したのではないでしょうか。

 「もののあはれ」は、「人間は理性で世界を理解できる」という西洋的な考え方とは対極にある概念です。資本主義が浸透した戦後の日本は「もののあはれ」を忘れ、科学技術で理性を納得させる道を取りました。そして、東日本大震災という「奇異さ」が、端的にかつ強烈にその危うさを浮き彫りにしたのです。

 人心は風土が作ります。そして、風土にはそれぞれ個性があり付き合い方が異なるのです。震災によって揺らいだ科学技術への信頼を取り戻す第一歩は、日本の風土が生んだ先人の知恵「もののあはれ」を感じる心なのではないでしょうか。それが、科学技術という道具を万能視してきた人間の驕りを戒め、古来日本人が大切にしてきた自然への畏敬を取り戻す道なのです。
(2011/04/25)

12:41

不確実性の許容

 「世界は、実は五分前に始まったのだ」

 今、こう言われたら、あなたは信じることができますか。それとも「ありえないことだ」と笑い飛ばしますか。

 これは、十九世紀末から二十世紀にかけて活躍した英国の論理学者で哲学者のバートランド・ラッセルが提唱した有名な「世界五分前仮説」です。哲学における懐疑主義的な思考実験のひとつであるこの仮説は、確実に否定することができないとされています。つまり、「世界は五分前にできたのではなく、ひいては『過去』というものが存在すると論理的に示すこと」は不可能なのです。例えば、五分以上前の記憶があることは、この仮説の反証とはなりません。それは、この世界に生きるすべての人に間違った記憶を植え付けられた状態で、五分前に世界が始まったかもしれないからです。タイムマシンでも発明されない限り、そうでないことを証明する手立てはありません。

 この仮説を読んで、あなたはどう思いましたか。「過去」というよすがを失って、非常に居心地の悪い気分になったのではないでしょうか。それは、「今、生きている」という実存への信頼を支えるのは、過去という概念とその記憶だからです。この意味で過去とは、人間が、今と未来を生きるよすがです。東日本大震災では、津波が、家屋や車などと一緒に、五分前までは確かにそこにあった大切な人々と一緒に過ごしたという生活と実存の記憶を物理的に破壊してしまいました。その映像は世界中を駆け巡り、今日と同じ毎日が永遠に続くと思っていた人々に「未来とは、本来不確かなものである」という事実をつきつけたのです。

 「不確実性(uncertainty)」という言葉は、様々な分野で使われています。例えば、経済学では「確率形成の基礎となるべき状態の特定と分類が不可能な推定」とされます。つまり、不確実性とは、基礎となる状況が一回限りであるなど予測がほとんど不可能な状態を指すのです。これは、前述のラッセルとほぼ同時期に活躍した米国の経済学者フランク・ナイトが唱えた説で、彼は不確実性の例として企業の意思決定を挙げています。企業が直面する不確定状況は、数学的な先験的確率でもなく、経験的な統計的確率でもない、先験的にも統計的にも確率を与えることができない推定であると主張したのです。

 最近の例では、サブプライムローンという過去に経験したことのない領域での損失の拡大が、ナイトのいう不確実性に属すとされています。そして、グリーンスパン元FRB議長が「不確実性、特にナイトの不確実性に直面すると、人間はいかなる時でも、中長期的な資産から安全で流動的なものへのもちかえを図るものだ」と言ったように、人間は不確実性に直面すると、最悪のシナリオを想定して悲観的に行動してしまうのです。これが、大震災後に頻発している「買占め」の原動力です。不確実性が社会や市場の疑心暗鬼を増幅しているのです。

 過去というよすがを社会が見失った今の日本は、不確実性に覆われて「つくるべき明日の姿がどういうものなのか」が見えない状態です。つくるべき明日とは、「希望」の具体的な姿です。地震が起きても起こらなくても、未来が不確実性に満ちたものである限り、人は希望という名の灯がなくては前に進むことができません。
 希望の具体的な姿を描くためにまずすべきことは、私たちが生きる毎日、そして世界とは本来不確かなものであるという事実を、この困難な時代にこそ勇気を持って受け入れることではないでしょうか。これが、不確実性に振り回されずに利用する第一歩となるのです。
(2011/04/10)

11:24

ステークホルダー

 「あふみの() 磯うつ波の いく(たび)か 御世にこころを くだきぬるかな


 安政7年(1860年)正月、近江彦根藩第15代藩主井伊直弼は、御用絵師狩野永岳に描かせた正装姿の自画像にこの歌を添えて、井伊家の菩提寺に納めたと伝えられます。幕末の数々の困難と、それに幕府大老として力を尽くしてきた自身の心中を、寄せては返す琵琶湖の波に重ねたこの歌は直弼の人生そのもののようです。2ヶ月後の3月3日(新暦3月24日)、直弼は桜田門外の変で落命しました。

 桜田門外の変は、直弼が安政5年(1858年)に朝廷の勅許無しで日米修好通商条約の調印に踏み切ったことに端を発します。調印の反対派である吉田松陰らを安政の大獄により処罰したことや強権的な政治に対する反発から攘夷派などに恨みを買い、江戸城桜田門外で暗殺されたのです。

 明治維新後、井伊家からは直弼の遺品と思われる大量の洋書や世界地図が発見されたといわれています。イギリスの詩人バートン・マーチンが直弼に寄せた詩「彦根城にのぼると/小人には琵琶湖がみえる/大人には日本がみえる/偉人には世界がみえる」のとおり、直弼にとって琵琶湖の波は、開国を迫られて日本が乗り出さざるを得なくなった世界の海に渦巻くグローバリゼーションの荒波に見えたのではないでしょうか。

 このような大局的な視点は、彦根藩が位置する近江盆地の気風のようです。古くから都と東国諸国を結ぶ交通の要衝で、藤原氏をはじめ延暦寺、園城寺、日吉大社など数多くの荘園が存在した近江は、人とモノと情報が頻繁に行き交う日本の先進地域だったからです。ここで、今日の大企業の中にも系譜を引くものが多い「近江商人」が生まれました。

 生き馬の目を抜くような土地では、大局を見据えた者しか生き残れません。近江商人の大局のひとつが有名な「三方よし」でしょう。この言葉そのものは後世の研究者が象徴的に使用したもので、原典は宝暦4年(1754年)中村治兵衛の家訓「たとえ他国へ商内に参り候ても、この商内物この国人一切の人々皆々心よく着申され候様にと、自分の事に思わず、皆人よき様にとおもひ、高利望み申さず、とかく天道のめぐみ次第と、ただそのゆくさきの人を大切におもふべく候…」といわれています。ここで注目されるのは「商売に回る国一切の人を大切にする」という点です。これは1984年、米国の経済学者フリーマンが、ステークホルダーを世界で初めて定義した論文で示した「インフルエンサー・ステーク(influencer stake)」に類する概念です。企業の持ち分を有する株主や取締役などの「エクイティ・ステーク(equity stake)」、従業員、顧客、取引先など経済的な利害を有する「経済/市場ステーク(economic or market stake)」と異なり、インフルエンサー・ステークは、持ち分も経済的な利害もないが企業に何らかの影響を与えることができるか企業から何らかの影響を受ける者、即ち社会=世間です。商売先の国一切を大切にするとは、このインフルエンサー・ステークを大切にすることと同じなのです。

 こうした考え方が生まれた背景には、商圏が国内に限られた鎖国時代の幕藩体制とは中央集権体制ではなく各藩によるそれぞれ独立した統治体制だったことがあるのではないでしょうか。「お国ことば」という言い回しがありますが、彦根藩と桑名藩とでは国が違ったのです。近江商人は国を超えて活動する、江戸時代のグローバル企業そのものでした。

 異国で開店して商売を発展させるためには、もともと縁もゆかりもなかった人々からの信頼を得ることが大前提で、それは近江商人も現代企業も全く同じです。そして、ステークホルダーという外来語が持つ意味は、日本の商習慣でも昔から大切にされていた理念と同じなのです。
(2011/03/10)

11:25

安全・安心な街づくり

 「春雨を待つとにしあらし我がやどの若木の梅もいまだ含(ふふ)めり」
(万葉集)

 現代で花見といえば桜ですが、奈良や平安の昔には百花に先駆けて咲く梅の方が桜より好まれたようで、万葉集には桜の約三倍、百二十首余りの梅の歌が収められています。公家の多くは、中国から生薬の一つとして伝わった梅を庭木として植え、薬としての効用よりも花と香りの美しさを愛でました。

 花の筆頭が梅ならば、江戸の街の安全と安心を脅かす筆頭は火事でした。明暦の大火は、明暦三年一月十八日(新暦一六五七年三月二日)、つぼみのままの若梅が春雨を待つ頃の江戸で起こりました。振袖火事とも呼ばれるこの火事は、東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除いて日本史上最大のもので、暴君ネロの時代に起きたローマ大火(六四年)とロンドン大火(一六六六年)と並んで世界の三大火事の一つです。今冬、日本列島の太平洋側は記録的な少雨でしたが、このときの江戸も前年十一月から八十日以上雨が降っておらず、非常に乾燥した状態が続いていて、ひとたび火事が起これば大火となるのはそれこそ火を見るより明らかでした。死者は十万人に達したといわれ、江戸城の天守閣・本丸・二の丸をはじめ、外堀以内のほぼ全域と市街地の大半を焼き尽くす大災害だったのです。

 この大火後に幕府が行った対策は、道の拡幅や武家屋敷・寺院の移転による火除地の形成、類焼しやすい庇の禁止、避難経路となる橋と河岸通りの整備と管理、人口密集緩和のための市街地開拓や埋立てによる宅地造成、幕府直属の消防組織である定火消の整備などで、後の江戸の都市計画や消防制度の基盤となりました。しかしこれらは、当時としては可能な限りの対策ではあったものの、「火事を起こさない」というよりは「火事はおこる」ことを前提とし、延焼防止と安全な避難路の確保に重心がおかれたものでした。その理由は、江戸があくまで江戸城と武家屋敷を中心とした軍事都市であり、市街に初期消火のための水を常備することはあっても、町屋自体の防火性能にお金をかけるという発想がなかったためです。実際、明暦の大火以降も火事はなくならず、江戸時代の約二百六十年間に五十回近くもの大火が江戸で起きています。

 一方、同時期に大火に見舞われたロンドンは、江戸同様、城郭のあるローマの軍事都市として始まりましたが、当時既に千六百年余りの歴史を持つ成熟した街でした。十七世紀のイギリスは、王政を引いていたものの植民地支配と国際貿易を急拡大する大航海時代で、鎖国を始めたばかりの江戸とは正反対でした。大火にあったシティは、国際貿易を担う自由市民の自治区で、独自の警察機能を持つなど民主的な機運が強い地域でした。統治者のイングランド王の本拠地も、シティではなくウェストミンスターにあったのです。従って、ロンドン大火の再建策は、王ではなく市民を守ること=「火事を起こさない」ことが焦点となりました。市民の生活と財産を守るため、世界で初めて火災保険ができたのもロンドン大火がきっかけです。公的な対策としては、道の拡幅・直線化や広場の整備などの延焼防止策と避難経路の確保はもちろん、石炭税の導入による復興資金の確保と家屋を石造りか煉瓦造りに限定する建築規制、即ち、建物の不燃化が採用されました。特に建築規制は大変有効だったようで、この後ロンドンでは二度と大火は起きていません。それゆえ、後の都市計画では世界中でこの再建計画が手本とされました。日本では封建制崩壊後、明治時代になってから東京の丸の内と銀座などに煉瓦街が取り入れられます。

 同年代に起きた二つの街の大火とその対策が教えてくれるのは、火事という同じリスクへの対策であっても、守る対象が異なると打つべき対策とその結果が著しく変わるという事実です。これはリスクすべてにいえることで、もちろん現代の街づくりにも該当します。

 広辞苑によれば、安全とは「安らかで危険のないこと」で、安心とは「心配・不安がなくて心が安らぐこと」です。安全・安心な街づくりは誰もが望むことですが、「誰の安全・安心のために、何の安全・安心を守るのか」という原点を思い起こすことこそが、セキュリティを実現する鍵となるのではないでしょうか。
(2011/02/25)

11:13

グローバリゼーション

 「紫は 灰指すものそ ()石榴()(いち) 八十(やそ)(ちまた) 逢へる子や誰」
(万葉集)

 古代紫の染色に使われた椿の灰にちなむ、海石榴市(奈良県)で出逢った女性の名を男性が問う歌です。海石榴市は日本最古の市場です。この地は当時の主要な街道が始まる場所であり、水運の要衝でもありました。これが八十のちまたです。物資とともに多くの人が行き交う市場には、歌垣という出会いの場がありました。男性と女性が歌を詠みあい、今でいう婚活をしたのです。

 この優雅な婚活の横では、あらゆるものが取引されていました。河港に隣接し、船による物資搬入が盛んな海石榴市には、国内外から多数の物資が運び込まれました。記紀を紐解くと、飛鳥時代には公式の市以外での商品取引は禁止されており、公式市場でも許可を得た業者しか店を出せなかったといいます。取引方法などについても細かい規則があり、商品は公定価格で取引され、計量に用いる升や天秤は検定を受けました。まさに、現代の貿易そのものです。そして、市を往来したのは、ヒトとモノだけではありませんでした。日本への仏教伝来の第一歩として、仏像と経典を携えた百済の使者が上陸したのも、遣隋使の小野妹子が唐の使者と上陸したのも海石榴市です。宗教、海外情勢(情報)、隋や唐といった東アジアの先進国の制度や技術、文化も市場を通して往来したのです。経済的あるいは社会的なつながりが、国家や地域などの境界を越え、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象「グローバリゼーション」の始まりです。

 第二次世界大戦後に始まったといわれる現代のグローバリゼーションの背景として忘れてはならないのが民主主義国家の増加です。戦争の終結(1945年)時点で22カ国しかなかった民主主義国家は、今では世界の独立国約190カ国の半数を超えるといわれ、半世紀で5倍近くになりました。そしてこれはまず、企業に大きなビジネスチャンスをもたらしました。ソ連崩壊に代表される社会主義という名の国家主義の衰退が産業の民営化を促進し、広大な新しい市場を出現させたのはその一例です。多くの企業がチャンスを求めて国境を超え、強大な多国籍企業となりました。官(或いは専制)から民、即ち企業に大きな力が移行されたのです。一方、民主主義精神の普及は、社会にも力を与えました。人みなすべて平等との意識の下、社会を構成する市民一人ひとりが自らの権利を主張し、擁護する社会ができあがったのです。

 チャンスから得るリターンが大きければ大きいほど、リスクも大きくなるのが世の常です。企業にとって大きくなったリスク、それは、グローバリゼーションによって拡大したステークホルダーの範囲と、民主主義精神の浸透によるステークホルダーたちの権利意識の増大です。インターネットの普及は、この二つの拡大スピードを更に上げ、それに企業の意識が追いついていないのが現実です。ステークホルダーの企業に対する期待と企業の意識とのギャップ、それこそが米国で提唱されている新しい企業リスク「ソーシャルリスク」なのです。

 ソーシャルリスクは、社会が何を考えているか、そして何を企業に期待しているかを企業が理解しなければリスクとして認知されません。これまでのリスクマネジメントでは、レーダーにかかりにくいリスクです。例えば、米国系清涼飲料メーカーが操業するインドのある州で深刻な水不足が生じたことがあります。工場が取水しすぎるからではないかと地元住民に非難されたこのメーカーは、水源が異なるから自社のせいでないことを証明しても抗議行動が収まらないのを見て、すぐさま自社の技術を活用して地域の井戸を改善し水不足を解消しました。地域社会に水不足という問題があるのに、企業がボトル飲料を大量に製造しているというギャップ、このソーシャルリスクに対する解決策として、コミュニティへの参画と開発を行ったのです。これは、企業が社会的責任を果たした好例です。そして、社会の期待に沿って適切に責任を果たしたからこそ、数年後に反米感情が高まって州政府が工場閉鎖命令を出した際にも、地域住民がそれを阻止する側にまわってくれたのです。

 グローバリゼーションが加速度的に進む現代において、異なる文化圏の人々が共有できる価値観の創出はリスク解決手段の一つとして大変重要です。企業の社会的責任は、単なる倫理観を超えて、ソーシャルリスクを認知し、解決の糸口を探す価値観のものさしなのです。
(2011/02/10)

11:10

アカウンタビリティ

 「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」



 お正月の定番、小倉百人一首に収められた山部赤人の歌です。目の前に広がる田子の浦(静岡県)の青い海辺と、純白のヴェールをかけたような冬の白富士との対比。そしてこの景色から、富士の頂きに白雪が音もなく降り積もるさまを想う心。三十一文字で表された絵のような世界は、日本人であれば誰もが感動する幽玄の世界です。日本語では、春霞に浮かぶ山桜や緑濃い深山にかすかに聞こえるせせらぎの音の美しさを同じく「幽玄」という言葉で表現しますが、幽玄を英語で表すのは難しいようです。それは、空と砂と風だけの世界である砂漠の国で生まれたキリスト教を精神的支柱とする西欧社会において、自然とは人が支配するものだったからではないでしょうか。

 日本人は、万葉の時代から自然に対して畏怖と親(ちかし)さを併せもっていました。八百万の神を生み出した日本の多彩で千変万化の自然は、不可抗の威力と恩恵とを同時に与えたからです。日本では、自然が人を支配してきたのです。対して旧約聖書では、天地創造の場面で神が人に対してこう告げます。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」

 この、神によって権威づけられた地の支配者としての人の責務はマスターシップと呼ばれます。人(マスター)は、快適で合理的な生活を実現するために自然を征服し利用してよいとの解釈は、20世紀半ばまでキリスト教社会の根幹でした。これが転換されたのは戦後の高度成長による先進国での大気汚染や水質汚濁等の環境問題が急激に顕在化した1960年代以降です。キリスト教の内外から、環境破壊の歴史的根源はマスターシップにあるという強い非難が巻き起こり、自然に対する聖書の解釈は、マスターシップからスチュワードシップに転換されました。これは同時に、社会がアカウンタビリティ(説明責任)を求める時代に入ったことを意味しました。

 スチュワードシップもアカウンタビリティも、マスターシップと同じく聖書にその起源を見ることができます。一番わかりやすいのは、主人から委託された財産を使い込んでしまった家令(スチュワード)が会計報告書を出すことを求められる(アカウンタビリティ)という新約聖書ルカ福音書16章の悪い家令のたとえでしょう。これは、現代の会計におけるアカウンタビリティの起源です。また、主人からの預託金の運用とその説明についての責務を問う新約聖書マタイ福音書25章のタラントのたとえもよく引用されます。主人(神)と家令(人間)との委託関係(スチュワードシップ)を前提とするこのたとえでは、神から委ねられた才能(タラントから転じてタレント)を最大限に生かしたかどうか、最後の審判で神に申し開きするのがアカウンタビリティとなります。そして、いずれのたとえでも、スチュワードシップとアカウンタビリティはセットで語られるのです。

 この二つのたとえに登場する家令は、エコノミー(経済)と同源のギリシャ語オイコノミスで、現代英訳ではマネジャーと表記されます。日本でマネジャーといえば、課長や部長あたりを想像しますが、本来は経営に責任を持つもの、つまり経営者を指します。マネジャーは、委託者である株主だけでなく公的な委託(キリスト教社会では神に応える責任)にも責任があります。マネジャーは、スチュワードシップ(業務遂行責任)についてアカウンタビリティ(説明責任)を負っているのです。

 ここで大切なのは、すべては一時的に神から預けられているという意識とそれに対して取らされる神への責任であるということです。こう書くとキリスト教社会ではない日本では浸透しづらい概念となってしまうので、少々乱暴ですが、黄泉の国の入り口で閻魔大王に申し開きをするといったイメージに置き換えるとわかりやすいかもしれません。閻魔帳にはすべての行いが書かれていますから、嘘をついたら舌を抜かれて地獄に落とされます。さて、あなたは事業が正しく行われているかどうか閻魔大王に説明できるでしょうか。閻魔大王に堂々と説明できること、それは社会に対して説明することと同じです。そして、事業についてアカウンタビリティ(説明責任)を果たすことこそが、社会の信頼を得るために企業の社会的責任に取り組むはじめの一歩となるのです。
(2011/01/10)